キャスリング 臼杵城編(続日本100名城)

JR日豊本線臼杵駅から北西に850m、12分歩いた所に臼杵城跡があります。

車の場合は、東九州自動車道臼杵インターを降りて、東に3.2キロ、10分ぐらいで臼杵市観光交流プラザです。

臼杵市観光交流プラザに無料の駐車場があります。隣にはスーパーの駐車場があり、飲み物を買い物がてら利用しました。目の前の小高い山が臼杵城跡です。

臼杵市観光交流プラザ1階には、続100名城スタンプと資料パネルが置いてあり、臼杵の歴史と文化が勉強できます。パンフレットもあるので貰っておきましょう。

1562年 大友義鎮(宗麟)は臼杵城の前身である丹生島城を築きました。今では小高い山ですが、丹生島という文字通り島(西側だけ干潮時に地続き)で、その後干潟を干拓して城下町を造りました。お城は東西に長く、西側から古橋を渡りキャスリングスタートです!

1592年~1593年 文禄・慶長の役で大友義鎮の子、大友義統が改易となり、大分府内城から石田三成の娘婿の福原直高が入城します。まずは亭櫓跡がありました。

1597年 豊臣秀吉の家臣 太田一吉が入城します。鐙坂(あぶみさか)を上ります。

以前は、島だった為か、石垣よりは自然の岩山をうまく利用した城郭になっています。

鳥居の向こうには畳櫓、メインゲートの大門櫓です。

1600年 関ヶ原の戦い後は、郡上八幡から稲葉貞通が入城し初代臼杵藩主となります。城郭の改修を進めていきました。大門櫓をくぐると二の丸で会所櫓跡があります。

広場になっている二の丸跡を東に向かいます。稲葉貞通が入城してから15代続き、明治維新まで治めました。

二の丸には臼杵護国神社、多目的広場など公園となっています。空堀を過ぎると鉄門櫓跡があります。

稲葉氏は、本丸の防衛を堅固にする為に空堀と鉄門櫓を造りました。

空堀を見下ろすように三層四重の天守櫓を構え二の丸からの侵入に備えました。

臼杵城の東側の亀首櫓跡まで来ました。ここから東を見ると海が臼杵湾、豊後水道が見えますが、築城当時はすぐそこにまで海があり天然の要害でした。

東西に長い臼杵城を時計周りに周っています。卯寅口門脇櫓と卯寅稲荷神社に鳥居が見えます。二の丸に戻るとフランキ砲があります。キリシタン大名だった大友宗麟は、ポルトガル人からフランキ砲を輸入し島津軍を退けた時もありました。

九州六か国の守護職から九州探題稙となった九州随一の覇者大友宗麟公碑があります。歴史年表もあり様々な大名が治めてきた事が分かります。

井楼櫓跡の西側まで戻ってきました。下城して下から畳櫓を見ると、石垣代わりのがけ崩れ防止のモルタル吹き付けが独特の雰囲気を醸し出しています。

お堀と古橋まで戻ってきました。コンパクトで優雅な箱庭のようです。周りやすくて雰囲気も良いお城でした。1.2キロで20分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする