キャスリング 館林城編

東武伊勢崎線館林駅から東に1.5キロ、20分歩くと館林城跡があります。

車の場合は、館林市市役所に駐車場があります。混んでいる場合は、広大な三の丸南面駐車場があります。いずれも無料です。市役所や公園など市民の憩いの場になっています。

市役所の裏、北西方向に土橋門があります。館林城で唯一残る建物です。

15世紀頃 上杉軍が館林城を攻めた際、館林城主が赤井照光氏だと言われています。上杉氏、武田氏、北条氏の関東攻めの中で、長尾氏、北条氏が館林城を支配するようになりました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐が始まり、石田三成が館林城や忍城の攻めていきました。攻撃部隊は、大谷吉継、長束正家、佐竹義宣、真田昌幸などが館林城を攻めていきます。やがて北条氏は滅び、徳川家康の関東入封の伴い、徳川四天王の一人榊原康政が10万石城主となります。その後榊原氏が三代続きますが、陸奥白河藩に異動となり、一時天領となります。

1644年 大給松平氏が入城しますが、下総佐倉藩に異動し、1661年4代将軍の徳川家綱の弟、綱吉が入城し館林徳川家となります。その後、綱吉が5代将軍となり、子の徳松が家督を継ぎますが、1683年急死すると、廃藩となり廃城となります。

1983年に復元された土橋門、土塁など雰囲気があります。広大な芝生広場の本丸に向かうと天守台らしき物があります。

1707年 越智松平氏が入城し、太田氏→越智松平氏→井上氏→秋元氏で明治維新を迎え、館林県となりました。

本丸には土塁と天守台が残っていますが、実際には三重櫓が天守代わりだったそうです。日本史のメジャーどころが館林に関わっていたのは、利根川を境に江戸の北を防備する役割があったからだそうです。重要な場所だった事がよく分かった45分のキャスリングでした。



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