キャスリング 忍城編(続日本100名城・関東7名城)

秩父鉄道行田駅から南に900m、11分歩くと忍城跡があります。

車の場合、行田市郷土博物館駐車場に停めます。第一、第二合わせて50台ぐらい停められる無料の駐場です。


まずは、博物館に入ると右手に続日本100名城スタンプが置いてあります。入館料大人200円です。

忍城を知ったきっかけは、「のぼうの城」を本で読んだ事でした。その後、村上海賊の娘へと続きました。資料館の中は、撮影禁止なので画像が殆どありませんが、忍城の縄張りを見てびっくりしました。水攻めの前にすでに浮き城になっており、攻め手がかなり困難な城だと分かります。

模擬天守の4階展望台から北側を撮ってみました。下には門が見えます。古代から中世、近世の歴史まで学べます。

1478年頃 成田正等・顕泰父子が、扇谷上杉氏に属する忍一族を滅ぼし、築城したと言われています。

1560年 上杉謙信が後北条氏を攻めた際、忍城の成田長泰は小田原城の戦いに参戦しました。しかし上杉謙信の関東管領就任式後に離反し、攻められますが持ちこたえました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐の際、忍城主の成田氏長は小田原城にて籠城しました。氏長の叔父、成田泰季が城代として侍、町民、農民約3000人が籠城する、忍城の戦いが始まります。

豊臣方の総大将石田三成は、大谷吉継、長束正家、真田昌幸などが加わり、埼玉古墳群の丸墓山古墳に陣を敷きました。

小田原城が降伏したため、忍城も開城となりました。

小田原征伐後、徳川家康の関東移封に伴い、1592年家康の四男松平忠吉が忍城主となります。

1633年 松平信綱が城主となります。その後、1639年阿部忠秋が城主となり。城の拡張整備が行われました。

1823年 阿部氏が白河藩に異動となり、桑名藩から松平忠堯が入城します。

1832年に建立された藩校「進修館」の表門と言われている門が残っています。忍城の数少ない遺構の一つです。

1871年 廃藩置県となり、忍藩から忍県になりました。

忍城から南に約3キロの所に、石田三成が陣を置いた丸墓山古墳があります。鉄剣の出土した稲荷山古墳や最大の円墳の丸墓山古墳と埼玉古墳群として貴重な遺産です。


近くを流れる利根川を使って水攻めをする為、長さ28キロに渡り堤を築き水攻めにしました。丸墓山古墳から石田堤が築かれています。高さ19mの古墳に上ってみます。

丸墓山古墳から北西に忍城が見えます。ここから陣頭指揮を執り水攻めにしましたが、逆に堤防決壊をされ豊臣軍270名が水攻めで亡くなりました。その後も泥沼で思うように攻められず、豊臣秀吉が北条方の城で唯一落とせなかったお城でした。

石田三成が官兵衛の備中高松城の水攻めを真似して行ったという説がありましたが、豊臣秀吉の指示だった事が分かってきています。いずれにせよ、難攻不落の城であった事が分かった80分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする