キャスリング 難波田城編

東武東上線鶴瀬駅から東に3.4キロに所に難波田氏城跡があります。

車の場合、13台ほど停められる無料駐車場があります。

平安時代に終わり頃、武蔵国には「武蔵七党」と呼ばれる武士団がいました。(武蔵七党:横山党・猪俣党・野与党・村山党・児玉党・西党・丹党)

村山党の金子高範は、承久の乱で討死しましたが、その恩賞として「難波田」の地が与えられ、その子孫が難波田氏を名乗り、居館を構えたのが始まりとされています。

城跡ゾーンと古民家ゾーンに分かれており、まずは城跡ゾーンからキャスリングスタート!

公園は綺麗に整備されており、あまり城跡感はなく、雰囲気だけ楽しみます。

古民家ゾーンでは、旧鈴木家住宅や旧大澤家住宅があります。明治4年に建てられた旧大澤家住宅に入ってみましょう。入母屋造りの玄関が格式を高めています。

断熱性や気密性は皆無でしょうが、それが長持ちする秘訣ですね。このような家もいいなと思います。

話を戻しますが、南北朝時代には、難波田氏は観応の擾乱の際に弟の足利直義側に属しました。しかし羽倉合戦で尊氏方の高麗氏に敗れました。

釜戸も大きく、お風呂も立派な五右衛門風呂です。

1546年 河越夜戦では、難波田氏の主君扇谷上杉氏と北条の戦いで難波田善銀が討死しました。その後、北条氏家臣の上田氏が支配します。

資料館は無料で綺麗に展示されており、力の入れようが伝わります。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏は敗北し、難波田城は廃城となりました。

難波田善銀は、武蔵松山城、深大寺城の城主でした。しかし北条氏の攻撃で松山城を退く際に、松山城風流合戦がありました。

江戸時代に、難波田氏は旗本まで務めました。たまたま看板を見て入ってみたお城でしたが、難波田氏の歴史がよく分かった、30分のキャスリングでした。



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