キャスリング 興国寺城編(続日本100名城)

JR東海道本線原駅から北に2.6キロの所に興国寺城跡があります。

車の場合、新東名高速道路駿河湾沼津サービスエリアのスマートインターから、南に1.4キロ、5分で興国寺城駐車場です。

本丸の一部にある無料の土の駐車場です。朝7時なので誰もいません。

1487年 伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、今川氏の家督争いを治めた褒賞で、興国寺城を与えられました。

案内看板の間の箱に、続日本100名城スタンプが置いてあります。時間に制約が無いので、本当にありがたいです。

1491年 北条早雲は、堀越公方の足利茶々丸を攻め滅ぼし、韮山城に拠点を移しました。北条早雲の石碑と、関ヶ原の戦い後に入城した天野康景の石碑があります。

北条早雲家臣の富永政家が城主となります。

本丸にある穂見神社で旅の安全を祈願します。愛鷹山の尾根に築かれた興国寺城は南北に細長くなっており、駿河の今川氏、甲斐の武田氏、伊豆国の北条氏の三つ巴の争奪戦の城でした。

1537年 武田信虎が和睦した今川義元に、興国寺城を贈りました。

案内看板の右手にある階段から土塁を上っていきます。かなり高い土塁です。

1568年 武田信玄は、甲相駿三国同盟を破棄し、北条氏康は今川氏に援軍を送ります。結局信玄の攻めは失敗に終わり、甲相同盟が成立すると、武田氏の城になります。

土塁を上がり終えると大空堀に向けて急降下します。東には清水曲輪があります。

1579年 武田勝頼は、沼津港の近くに三枚橋城を築城し、興国寺城が後方の城の位置づけになります。

天守台のある土塁と北曲輪の間にある空堀です。

1582年 武田氏が滅亡し、徳川家康の家臣、牧野康成が城主となります。

空堀を西に進むと防空壕がありました。他に3つ穴があり、中でつながっているそうです。怖くて入れませんでした。

1590年 徳川家康の関東入封に伴い、河毛重次が城主となります。

北曲輪を上ると原っぱが広がっており、北には新幹線が走っています。愛鷹山と左奥には富士山が見えます。北曲輪から天守台のある土塁を見た画像です。

1601年 天野康景が城主となり、1万石の興国寺藩が成立します。

天守台の石垣が一部露出しています。

1607年 天野康景の部下が領民殺害事件を起こし、責任を取るため城を棄てました。興国寺城はそのまま廃城となりました。

天守台には礎石らしき石もありました。

天守台から西に向かうと西櫓台です。ここから南を見ると本丸と沼津市内、千本松原、駿河湾、伊豆半島が一望できます。

コンパクトですが高さのある土塁や深い大空堀など見応えのある城でした。30分のキャスリングでした。



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