キャスリング 岩櫃城編(続日本100名城)

JR吾妻線群馬原駅の切符売り場に、続日本100名城スタンプが置いてあります。ここから岩櫃城跡までは、西に2.4キロぐらいです。次の駅の郷原駅も同じくらいの距離です。

車の場合、平沢登山口駐車場があります。画像の通り、広大で無料の駐車場です。駐車場までは、道が狭いので注意して下さい。

平沢登山口観光案内所は、4月1日~11月30日、9時~16時に開きます。3月中旬でしたので閉館中でした。

駐車場から歩いて3分で登山口です。ここから本丸まで片道15分程度です。それではキャスリングスタート!

標高802mの岩櫃山の中腹に築かれた中世山城です。築城時期や築城主は不明ですが、南北朝時代に吾妻行盛の名前が文献に出てきます。その後、斉藤憲広まで6代まで続きます。本丸まで500mです。

1560年 長尾景虎(上杉謙信)が岩櫃城を攻め落としますが、斉藤氏の城に戻ります。

1563年 武田信玄の上州侵略で、武田氏家臣の真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。城主の斉藤憲広は奮戦しましたが、ついに落城します。

開けた所に出てくると中城跡です。登山口から本丸までの中間地点ぐらいでしょうか。

武田信玄は、真田幸隆に吾妻郡の守護を命じ、その後、真田信綱が城主となります。しかし1575年の長篠の戦いで信綱、昌輝兄弟が戦死したので、真田昌幸が城主となります。

中城跡を越えると、また坂道になります。

1582年 織田徳川連合軍に攻められ、主家である武田勝頼が劣勢になると、真田昌幸は岩櫃城勝頼を迎え入れ、態勢を整え直そうとしました。

本丸跡までもう少し!

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡すると、沼田城は真田の支配となります。真田信幸は沼田城主となり、岩櫃城は沼田城の支城として吾妻郡統治の役割を果たします。

本丸が左手に見えてきました。右手は二の丸跡です。

1600年 関ヶ原の戦いで真田昌幸は西軍、真田信幸は東軍と分かれました。昌幸の叔父である矢沢頼綱が城代となり、信幸方の城となります。

本丸までの最後の階段です。

1615年 元和の一国一城令により、岩櫃城は廃城となります。岩櫃城を壊して、城下町を原町に移転してとも言われています。

本丸跡に到着です。本丸跡から南の竪堀も見事です。

城郭の規模は、上州最大を誇っていました。甲斐の岩殿城、駿河の久能城と武田の三堅城と称されました。本丸で一段高くなっている櫓台は、幅12m、高さ2.5mです。

本丸の南西は腰曲輪となっており、東には城下町だった東吾妻町原町が見えます。

様々な人々の思惑、仁義、戦略、野心が蠢く地は、約1.7キロ、30分のキャスリングでした。沼田城、名胡桃城、岩櫃城の上州三名城をキャスリングしたので、群馬原町駅で記念のクリアファイルを頂きました。

現実に起きた歴史ドラマは、私たちを魅了しますね。



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