キャスリング 浪岡城編(続日本100名城)

JR奥羽本線浪岡駅から東に2.3キロの所に、浪岡城跡があります。

車の場合は、東北自動車道浪岡インターを降りて、南に5キロ、7分。弘前城から約20キロ、40分ぐらいです。浪岡城の東側に駐車場と浪岡城跡案内所があります。(冬季は閉鎖)

JR奥羽本線の浪岡駅です。浪岡駅に併設された「あぴねす」に、続日本100名城のスタンプが置いてあります。

1373年 平安京を模して、敷地の隅部に、祇園・八幡・加茂・春日の神社が配置されていました。その後、1460年頃、北畠家系の浪岡北畠氏の居城として、4代目の北畠顕義により築城されたと言われています。

浪岡城のスタンプと散策マップをもらい、浪岡城に向かいます。

南北朝時代に後醍醐天皇を助けた、北畠親房、顕家の子孫にあたります。北畠氏館や霧山城など三重県のイメージがあったので、青森に北畠氏の城があるのは不思議に感じます。

東西1200m、南北600mと東西に細長いです。その真ん中辺りの北館からキャスリングスタートです!入城は無料です。

1562年 北畠氏の親族間で争いが起こり、勢力が衰えます。

北館は浪岡城主の家臣達が住んでいた武家屋敷の跡で、板塀で区画されています。

北館から堀を挟んで西側が西館、南側が内館になります。西館はまだ解明されていません。内館は本丸機能があったとされています。

1578年 9代目の北畠顕村の時代に、大浦為信(津軽為信)によって攻められ落城しました。

浪岡城東側の案内所、駐車場に移動しました。案内所の一番近くには、猿楽館があり、能舞台があったと言われています。北畠顕家は能や武芸に秀でているイメージなので、北畠一族は、優雅に舞っていたのでしょうか。

落城後400年間、畑や水田として使われきましたが、近年は徐々に整備や調査が始まっています。幅20m、深さ5mほどの二重堀と8つの曲輪で構成されています。

猿楽館の東に東館があります。発掘された皿、食器類、鎧、刀などの武具類は、中世の館で保存されています。

積雪の為、全てを見る事はできなかったので、20分のキャスリングでした。津軽為信に落とされる前は、北畠氏の華やかな文化が、北の大地に繰り広げられていたと思います。



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