キャスリング 根城編(日本100名城)

JR八戸線長苗代駅から南に、2キロ、30分歩くと根城跡があります。

車の場合は、八戸自動車道八戸インターから北に2.4キロ、8分走ると根城跡に着きます。南部師行の像の前に無料の駐車場がありますので、目印にして下さい。

1333年 後醍醐天皇は、北畠顕家を陸奥の国司に任命しました。顕家は、義良(のりよし)親王を奉じて、陸奥国府に赴任した際に、山梨県身延町出身の南部師行も連れていきました。

1334年 南部師行は、根城を築城し、国司の代官となりました。「南朝方の根本の城」という意味で名づけられたと言われています。

入口の門は、元々、根城の門を八戸城の東門として移されたもので、現在は、根城のメインゲートとなっています。

門をくぐると堀があります。

綺麗に整備されており、道の右手には、曲輪の一つである東善寺の曲輪があります。

広場の所々にある木は、籠城戦に備え、食糧の備蓄の他に、実のなる木も植えられていました。昔の街道沿いにあった並木と同じ考え方ですね。南部氏は手厚く保護した日蓮宗久遠寺のしだれ桜が植えられています。

1338年 南部師行は北畠顕家とともに、足利尊氏討伐に向かい、大阪府堺市で討ち死にしました。北畠顕家も北朝方の高師直との戦いで討たれました。

さらに奥に進むと芝生広場が広がりますが、本来は掘立柱建物や堀で曲輪が構成されていました。

南部師行の死後、弟の政長が継ぎ南朝方への忠誠を誓い続けました。

1393年 南部氏8代目の八戸政光は、甲斐から根城に移り、南部氏の再興を図りました。そのうち三戸南部氏(八戸城)が台頭してきます。

空堀を越えると中館の曲輪です。駐車場の方から、東善寺、中館、岡前館、沢里館、本丸の曲輪で構成されていたと言われています。

本丸に近づきましたが・・・今日は休場日でした・・・。分かってはいました。月曜、祝日の翌日、年末年始は休みです。

休場日でも、日本100名城スタンプは押せました。電話して門を開けて頂きました。ありがたいものです。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐に際、宗家の三戸城主南部信直は、小田原征伐に参加し南部7領の所領を安堵されました。その際に根城も秀吉の支配下に置かれました。

門を開けてもらったついでに、短時間ですが、本丸跡や建物を見させて頂きました。

1592年 豊臣秀吉から根城の破壊が命じられましたが、館自体は残され八戸氏の本拠として続きました。

竪穴式住居のような納屋があります。

1615年 宗家の南部利直は、盛岡城を築城し盛岡藩が成立しました。八戸は盛岡藩に帰属することになります。

1627年 八戸氏22代目の八戸直秀の時に、遠野城に異動となり、根城は廃城となりました。

馬淵川の河岸段丘上に造られた5つの曲輪で構成された連郭式の平山城は、50分のキャスリングでした。南部氏は、八戸、三戸、九戸と分かれていくので、覚えるのが大変です。



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