キャスリング 宇都宮城編(関東7名城)

JR東北本線宇都宮駅から西に1.7キロ、東武宇都宮線東武宇都宮駅から南東に750m、歩いた所に、宇都宮城跡があります。

車の場合は、お城西側に駐車場があります。グーグルマップ上では、公衆トイレを目印にして下さい。

さい。

お城西側のおほり橋に、城址公園案内板があります。それでは、キャスリングスタートです!

平安時代 藤原秀郷又は、藤原宗円(宇都宮氏の祖)が二荒山の南に居館を造ったところから始まります。

二荒山には、宇都宮神社があり、藤原宗円は前九年の役で、宇都宮神社の座主と地域一帯を与えられたとされています。その後、宇都宮氏は22代に渡り、鎌倉時代から安土桃山時代の530年間、国司、守護に任ぜられ宇都宮城を拠点としました。

歴代の城主は、鎌倉幕府の評定衆、楠正成との戦い、鎌倉公方への降伏、結城氏に敗北と同盟、那須氏との戦い、北条氏・武田氏を退け、最後は、豊臣秀吉に所領を没収されるという歴史を歩んでいます。

後北条氏などの攻めで城下町が焼かれました。その度に土塁が高く堀は深くなり、堅い守りになっていきます。土塁の下には、資料館があります。入場無料です。

1597年 浅野長政が城代となります。

1598年 18万石で蒲生秀行が入城し、宇都宮城下の商業整備に務めます。宇都宮城の模型や詳細なジオラマがあります。

1601年 関ヶ原の戦い後、10万石で奥平家昌が城下町を整備していきます。

1619年 本多正純が15.5万石で入城し、縄張りを拡張し、曲輪を増やしていきます。将軍の日光参詣のための宿泊所として本丸御殿を造りました。

中世から近世への城郭と城下町の変遷や正純時代の絵図があり、大きな城だという事が分かります。

戊辰戦争の攻撃ルートなどの案内板もあります。学芸員の方の説明が分かりやすかったです。

本多正純は、日光参詣に泊まっている将軍を釣り天井で暗殺する「釣天井事件」という話がありますが、事実ではありません。正純が謀反の噂で突然改易されたので、そこからきた創作話です。

外に出て南側から土塁に上がっていきます。

本多正純の後、奥平氏→松平氏→阿部氏→戸田氏が治めていき、幕末を迎えます。

まずは富士見櫓です。櫓の中にも入れます。

土塁の南西部に建てられた二階櫓で、絵図には瓦葺きで三間×四間の広さでした。

本多正純は、宇都宮城に天守は設けず、清明台という北西の二階櫓を天守代わりにしていました。

日光参詣の際には、本丸正面の清水門から御成御殿に向かいました。

1868年 戊辰戦争では、宇都宮藩は新政府軍につきました。幕府軍の土方歳三、大鳥圭介に攻められ落城します。しかしすぐに、大山弥助などが率いる薩摩藩、長州藩、大垣藩、鳥取藩の新政府軍の援護で城を奪還しました。その後、会津戦争で東山道軍の拠点となります。

戦火により、宇都宮城、城下町は焼失し、悲しい歴史の舞台となりましたが、綺麗に復元されました。小学生の頃は、御本丸公園でよく遊んでいたので、感慨もひとしおです。特に資料館は充実していたので、60分のキャスリングでした。

(おまけ)

宇都宮城から西に4キロにばんどう太郎というファミリーレストランがあります。茨城、栃木に多いチェーン店ですが、ボリュームがあり美味しいです。



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