キャスリング 若桜鬼ヶ城編(続日本100名城)

若桜鉄道若桜駅から南に約2キロ、山頂まで約60分歩いた所に、若桜城跡があります。若桜駅は有形登録文化財です。

車の場合、南側の城山林道で若桜駅から約3.5キロで馬場に着きます。

この日は、イベント列車が来ており駅前も大変賑わっていました。

若桜駅前に観光案内所があります。続日本100名城スタンプとパンフレットが置いてあるので、まずはここでスタンプと情報収集です。

車で行ったので、自動車ルートの城山林道を登っていくと、途中から砂利道になります。ちょっと不安になりますが、進むと終点が馬場になります。車は5台ぐらい置けそうでした。

この地は、因幡、播磨、但馬につながる交通の要衝地として、毛利氏、尼子氏、織田氏などによる奪い合いの地でした。築城時期は不明ですが、1200年以降、矢部氏によって築城されたと言われています。

駐車場の馬場から城跡までは150mと近いです。それではキャスリングスタートです!

1576年 尼子党が鬼ヶ城より退去し、毛利氏が支配しました。

1580年 羽柴秀吉が鬼ヶ城を攻め、毛利氏の在番は鳥取城に退去します。秀吉家臣の八木豊信が城主となりました。

馬場から天守台と枡形虎口を抜けて5分ほど下り、見どころである六角石垣まで行きました。山頂より古い積み方の石垣ですが、綺麗に残っていました。敵を監視する為の、物見に利用されたと言われています。

1581年 秀吉の鳥取城攻めで、吉川経家は自刃し落城しました。秀吉家臣の木下重堅が城主となりました。

六角石垣から本丸下まで再度登ってきました。ここから若桜城下まで920mです。

1600年 関ヶ原の戦いで、木下重堅は西軍に入り、その後切腹を命じられました。翌年には、山崎家盛が城主となりました。

お城北側の三の丸からは、若桜駅や若桜の街並みが見えます。木下氏、山崎氏は治水、街道整備など城下町の発展に寄与しました。

三の丸から枡形虎口を抜けて二の丸にはいります。発掘調査では、木下氏、山崎氏の家紋入りの瓦や陶磁器が多く出土しました。

小屋がありましたが、続日本100名城スタンプは移動したみたいです。城下の観光案内所にあります。

地図があるので、見つけたら全体像を把握すると良いと思います。天守台が見えてきました。

標高452m、鶴尾山一帯に築かれ比高は252mです。天守跡から、東を見ると眼下左側は但馬方面、右側は播磨方面で交通の要衝だという事が分かります。

1617年 池田光政が鳥取城に入城し、山崎氏は備中成羽に異動となり、鬼ヶ城は廃城となり破却されました。破却された石垣が痛々しいですが、時代の流れですね。車で馬場まで行けたので40分のキャスリングでした。

(おまけ)

若桜駅近くに、道の駅若桜があります。キャスリングでお腹がすいたので、鹿肉ラーメンを頂きました。鹿肉の味に深みがあり、ラーメンとの相性は抜群でした。

ギターを持っていき、破却された石垣に対してのレクイエムを奏でました。出会ったおじさんには、「?」という顔をされましたが・・・。



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