キャスリング 脇本城編(続日本100名城)

JR男鹿線脇本駅から南に1.7キロ、22分歩くと脇本城跡駐車場に着きます。

車の場合、秋田自動車道昭和男鹿半島インターから、西に17キロ、25分で駐車場に着きます。6台ぐらい停められそうですが、車で上にも上がれます。


築城時期は不明ですが、1577年 檜山、湊の安東氏を統一した、安東愛季(あんどうちかすえ)が改修し居城としていました。駐車場の案内板で全体像をつかみます。

日本海沿いの標高100mの広大な山城は、能代市の檜山城、会津の向羽黒山城、八王子城などと同等の規模を誇ります。

麓の駐車場から車で上がりますが、道が狭いので注意しましょう。

車で2分ほど上ると、案内所の駐車スペースに着きます。見てのとおり、多くの台数は停められません。詰めれば5~6台ぐらいでしょうか。登山道は天下道と呼ばれ、中世に整備され秋田から船川、北浦方面に通じていました。

無人の案内所にはパンフレットや続日本100名城スタンプが置かれています。展示パネルやジオラマなどもあり、地元の方の愛情が感じられます。

車を降り、スタンプを押し、ルートを考えてキャスリングスタートです!

坂道を3分ほど歩くと、内館に着きます。

まずは左手(日本海側)の生鼻崎の館跡群跡に向かいます。この一帯は、数多くの館跡と家臣屋敷があったと言われています。竪堀も見事です。天下道が通じ、男鹿半島の信仰の本山、真山が見え、日本海交通の要衝であった事が分かります。

奥の南端の曲輪です。西側に土塁が築かれ、海側には城郭がありましたが崩落したそうです。盛土などで敷地を増やしており、掘立穴と杉の礎板が見つかっています。

ちょっと戻って、西側には、南北250mの土塁が築かれています。土塁には柱穴が一定間隔で見つかり、塀跡と考えられます。

土塁沿いに北に向かうと井戸跡があります。木々が無いので、土塁や空堀などがはっきりと見え、歩いていて気持ちの良いお城です。

さらに北に向かい天下道に合流して、馬乗り場に向かいます。近くにクレー射撃場があり発砲音が獣除けになってくれれば良いのですが・・・。途中、倒木があり行く手を阻みます。

先ほどの井戸跡から約500m、獣道を6分ほど歩くと馬乗り場に着きます。

馬乗り場も広大な曲輪となっており、土塁と林の奥までも続いていました。

馬乗り場から内館跡まで戻りました。城主の館と主殿がある重要な曲輪です。

特に主殿は、高さ6mの大土塁が築かれ、風格があります。また日本海からの強風を守る意味もあったそうです。

一番東にある曲輪が三方の土塁に囲まれ、城主の館がありました。

城主の館からは、東側の城下町が見下ろせます。遠くに大平山、眼下には、脇本本郷集落が広がっています。北東には、かつては日本で2番目の大きかった湖の八郎潟がありました。昭和時代に食糧増産と農家の働き口不足を解消する為に、八郎潟干拓事業が始まり、調整池の一部が見えます。

1587年 安東愛季は、織田信長や豊臣秀吉に恭順の意を示し、安東氏最盛期を築き秋田氏に改称しました。しかし角館城の戸沢氏と戦い戦死しました。

1590年 豊臣秀吉の奥州仕置きで、1602年の佐竹氏の久保田城築城後に、脇本城が廃城になりました。

天気や気温や雰囲気など、様々な状況が重なった事もあり、気持ちの良い40分のキャスリングでした。



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