キャスリング 秋田城編(続日本100名城)

JR秋田新幹線、奥羽本線秋田駅から北西に5.6キロの所に秋田城跡があります。バスで、秋田駅西口から護国神社裏参道で下車します。約20分ほどです。

車の場合、秋田城跡駐車場があり、無料の広い駐車場です。駐車場の敷地に見学案内所、史跡公園管理棟があり、ここに続日本100名城スタンプが置いてあります。(※冬期は閉鎖)ここでパンフレットを頂き、ボランティアに解説を受けながら秋田城跡を周りました。

秋田城跡歴史資料館にもスタンプが置いてあります。


733年 大和朝廷が築城した古代城柵の出羽柵(でわのき)が、庄内地方から秋田に移転され、天平年間に秋田城に改称されたと言われています。

駐車場に大きい案内板があるので、全体像を把握します。

奈良時代には「国府」が置かれ、出羽国の統治と津軽、渡島(北海道)、渤海国(中国東北部)の交易、交流の拠点として機能しました。(国府に関しては諸説あります。)

まずは、外郭東門をくぐり、古代水洗トイレに向かいます。復元された築地塀も見どころです。時間と労力をかけて突き固めていく版築です。

878年 蝦夷による元慶の乱が起き、一時秋田城が占拠されました。安定的な政治の中にも、国司による収奪が横行していた事も理由と考えられています。

3分ほど歩くと水洗トイレが見えてきました。

古代水洗トイレは、想像よりもちゃんとした水洗トイレでした。甕から柄杓で水を上から流しした方式だと考えられています。木の枝の切れ端みたいな物でお尻を拭いていました。痛そうですね。

三本の水路が発掘され、最初は何か分かりませんでした。その後トイレと判明し、沈殿槽から豚を食べている場合に見られる寄生虫卵が発見され、日本人でなく中国大陸からの来訪者の可能性があります。福岡城にある鴻臚館でも同様の事がありました。

外交交流施設としての役割を果たしていた事が分かります。

奈良時代には、渤海国から使節が来航していた記録がありましたので、トイレの近くは、迎賓館であったと考えられています。

井戸跡からは、「天平六年月」と書かれた木簡が発見されました。733年頃に秋田城が建てられた(出羽柵が遷された)と推定されます。

南の方にある三本木からは、昔日本海が見えました。高く目印の役割をしていたそうです。案内板がちょっと見にくいです。

古代沼とつなぐ井戸があり、湧水でもあるので綺麗に澄んでいます。ザリガニや小さい蟹がいました。

外郭から外郭東門に戻り、東大路を通り政庁に向かいます。

政庁は、東西94m、南北77mと長方形になっています。出羽国の政務や蝦夷との交流が行われていました。

政庁の区画変更や改修は、6回あったと考えれています。創建時では、築地塀から木塀への変更や、建物配置変えなどがありました。

政庁第1期の正殿は、白壁に煉瓦の床、瓦屋根と中国様式を取り入れ、律令国家として威信を示すようになっていました。

第2期では、瓦屋根から板葺になり、第3期では、築地塀から木材列塀に変わりました。築地塀だと凍結や雪解けなどで崩れてしまい、その都度改修が必要だったからだそうです。

正殿跡です。ほぼ同じ場所で6回建て替えがあり、掘立柱から礎石式に変わっていきました。

939年 蝦夷の反乱である天慶の乱で、秋田城は攻撃を受け、10世紀後半には、衰退していったとみられています。7世紀から11世紀まで続いたヤマト朝廷が築いた城柵は、統治と外交の拠点だった事が分かりました。この時代の城柵めぐりなども良いですね。50分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする