キャスリング 韮山代官所編

伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅から、東に1.7キロ、20分歩いた所に韮山代官所があります。

車の場合、代官所の北側に無料の駐車場があります。

1596年 徳川家康の家臣 江川英長が伊豆代官職に任命されました。

韮山代官所(江川家住宅)は、室町時代頃の建物で、国の重要文化財に指定されています。玄関前には枡形があります。

重厚な薬医門形式の表門は、1696年に建築されました。江川邸だけの単独券は大人500円。江川邸と韮山反射炉の共通券で大人700円です。

役人が執務しながら、役人が住む長屋、厩、牢屋など代官役所として機能していました。

主屋の50坪の土間を見上げると、見事な小屋組みの架構が見えます。荷重を支える太い管柱は生き柱と呼ばれています。

36代当主の江川英龍は、戦時の非常食として西洋の兵糧パンを採用し、ここでパンを焼き普及させました。パン焼き窯を造りパンを焼かれた、4月12日まは毎年「パンの日」になっており、英龍はパン祖と呼ばれています。

当初は5千石でしたが、支配領域が増えていき、韮山代官所は駿河国(静岡県)、相模国(神奈川県)、武蔵国(埼玉県)、甲斐国(山梨県)で最大10万石でした。

江川氏(宇野氏)は平安時代から続いています。鎌倉時代の宇野英親の時は、日蓮聖人から防火札をもらい、23代目江川英住の時は、北条早雲の配下となり、27代目英吉の時は、豊臣秀吉の小田原城攻めから韮山城を守りました。現在の末裔まで立派な家系です。

伊豆、相模、江戸までを管轄していた韮山代官の36代目の江川英龍は、海防上の危機感を募らせました。西洋式の沿岸防備や西洋砲術を学び、韮山反射炉を築きました。

高島流砲術の始祖、高島秋帆に弟子入りし、さらに砲術を高め、全国の藩士に伝えました。佐久間象山、大鳥圭介、橋本佐内、木戸孝允などが学びました。

江川英龍は、鋭い観察眼を持ち、植物、動物、鳥など様々な分野の研究をしていました

ロケーションが良いので、様々な映画やテレビのロケ地になっています。

南米蔵、北米蔵では、時代や歴史が分かる展示物があります。

1853年 ペリー来航で江戸幕府直営の韮山反射炉が築かれ、品川台場のカノン砲が製造されました。

江川酒と呼ばれるお酒を造っており、北条早雲や徳川家康からも美酒とお墨付きを与えられました。江川酒を造るのに使用していた井戸があります。何にでも突き詰めて研究する事が素晴らしいですね。

1823年建築の裏門の門扉はもっと古く、1590年と言われています。豊臣秀吉の小田原征伐で、韮山城が包囲された際、砦のひとつだった江川邸(江川曲輪)も攻撃を受けて、門扉に多くの弾痕や矢じりの跡が残されています。

北条早雲から幕末までずっと江川氏が絡み、国防にも重要な役割を果たしている事が分かりました。50分のキャスリングでした。ここから西に300m行くと韮山城があります。



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