キャスリング 長浜城編(伊豆国)

伊豆箱根鉄道駿豆線田京駅から西に、6.7キロの所に長浜城跡があります。

車の場合、県道17号線から折れて、長浜釣堀観光センターの所に無料の駐車場があります。4台ぐらい置けそうでした。船が置いてあるのが目印です。


築城年は不明ですが、長浜、重須を含む一帯は15世紀末に北条早雲から始まった北条氏の直轄地でした。土豪が一帯を支配し水運の拠点として使われていました。

長浜城の案内看板が充実しており勉強になります。

長浜城のある内浦湾は、淡島によって風が遮られ波が穏やかな場所です。プレート活動によって駿河湾は水深が深いので船の停泊がし易い場所でした。

15世紀後半から16世紀前半にかけて、砦程度のものがあったのではとされています。

1568年 甲斐の武田信玄は甲相駿同盟(甲斐の武田氏・相模の北条氏・駿河の今川氏)の同盟をすてて駿河へ侵攻してきました。

1569年 今川氏真は駿河国を北条氏直に渡しました。北条氏康の娘と今川氏真は結婚しており、親族関係がありました。

階段を上がってキャスリングスタートです!頂上まで5分と散歩にちょうど良いですね。

1579年 武田勝頼が三枚橋城を築き、北条氏政は拠点の韮山城を守る為に長浜城と獅子浜城を築きました。

途中にパンフレットがありました。ありがたいですね。パンフレットの解説をみながら攻略しましょう。

北条氏船大将の梶原景宗は長浜城を軍港として水軍を配置しました。

まずは第四曲輪からです。駐車場から一番近い曲輪です。凝灰岩の堅い岩盤を削り残し土塁としています。

1580年 駿河湾海戦と呼ばれる大規模な海戦が、北条水軍と武田水軍の間で勃発しました。

さらに階段を上がると虎口があります。柱穴も見つかり跳ね橋もあったのではないかと推定されています。

1582年 武田勝頼が天目山の戦いで自害し武田氏が滅亡するまで、北条水軍と武田水軍の小競り合いが続いていました。

虎口を過ぎると第二曲輪があります。

1589年 豊臣秀吉の小田原征伐で、北条氏は韮山城を守っていた大藤与七に長浜城を守るように指示されます。

第二曲輪に掘立柱建物跡が見つかっています。

さらに第二曲輪と第一曲輪の間には、堀跡も見つかっています。安山岩を削り、底には畝状の造りがあり敵の侵入を阻みます。

第二曲輪と第一曲輪の間には、堀だけではなく櫓跡もありました。柱穴などから推定されて造った櫓が復元されています。

第二曲輪に奥には第一曲輪があり、長浜城の中で最も高い位置にあります。西側から北側にかけてL字状になっており、塀と門の柱穴の列が発掘されています。周りから見えないように囲われた空間で、特別な事に使われていたと推定されます。

目の前が内浦湾、その真ん中に淡島、向こうには沼津の町と愛鷹山が見えます。天気が良ければ奥に富士山が見えます。波穏やかな長浜軍港には、梶原景宗が大将となり安宅船が停泊されていたとされています。現在はマリーナになっています。

第一曲輪の北側には曲輪Aがあり段上にB,C,Dと曲輪が海に向かっています。長浜城の全体に小さい曲輪がちりばめられ、曲輪Pまであります。

1590年 小田原征伐で韮山城とともに長浜城も開城となり、廃城になりました。

帰り道の第三曲輪です。ここにも掘立柱穴が見つかり、第三曲輪、虎口、第二曲輪の防御を担当したとされています。

全部の曲輪は見ませんでしたが、珍しい北条水軍跡地が分かった30分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする