キャスリング 高田城編(続日本100名城)

妙高はねうまライン高田駅から東に2キロ、30分歩くと高田城があります。

車の場合、上信越道上越高田インターから北東に4キロ、10分ほどで無料の高田公園駐車場に着きます。高田公園は競技場や野球場がある広大な公園となっており、駐車場も第1から第8まであり850台停められます。

1598年 春日山城の上杉景勝が会津へ異動となり、堀秀治が入城しますが、平城の福島城を築城しました。


1610年 堀氏が改易となり、徳川家康六男の松平忠輝が、信濃国川中島から越後国福島城に入城しました。

駐車場から北に向かうと堀があり、二の丸から本丸に通じる極楽橋を渡ります。1908年に陸軍13師団が入り、土塁は切り開かれ堀は埋められ橋は無くなりましたが、平成14年に精密な調査を元に復元されました。

1614年 松平忠輝は福島城を廃城とし、天下普請として高田平野の菩提ヶ原に高田城を築城しました。普請に上杉景勝と前田利常、縄張りと工事監督は、忠輝の舅である伊達政宗でした。

橋を渡ると本丸の土塁が見えてきます。石垣が無い理由として、石材の調達が難しい、地盤が悪く石垣の重さで沈下する事、大坂の陣前で築城を急いだ等があります。

橋を渡ると枡形になっており、本城御門(南門)があったそうです。本丸は、東西215m、南北228mありました。東不明門(東門)、北不明門(北門)の三ヶ所がありました。

1616年 松平忠輝は改易となり、酒井家次が上野国高崎城から入城します。

奥に進むと本丸跡の石碑があります。1907年には陸軍第13師団が入り、本丸には司令部が置かれました。

1618年 酒井家次の子、忠勝が松代城に異動となり、松代城の松平忠昌が高田城に入城します。昔の絵図を見ると広大な外堀があった事が分かります。

1624年 松平忠昌が福井城に異動となり、松平光長が入城します。

1665年 高田地震が発生、建物が倒壊し、三重櫓を建造しました。

高田城三重櫓の管理棟があり、ここに続日本100名城スタンプが置いてあります。三重櫓の入場券はここで買います。大人300円です。

1681年 松平光長は、越後騒動により改易となりました。越後騒動とは、光長の家老(小栗美作や荻田隼人)の政策で新田開発や鉱山開発、直江津の築港など、藩政をうまく切り盛りしていました。しかし地方知行制(歩合給)から蔵米制(固定給)の変更や跡継ぎの問題などで、将軍徳川綱吉が最終的に裁定したお家騒動でした。この間は、幕府直轄になります。

三重櫓の1,2階では、高田城の歴史や高田城をVRで知る事ができます。3階は展望室になっています。展示物は撮影禁止なので注意して下さい。

1685年 稲葉正往(まさみち)が小田原城から入城します。

三階の展望室から南を見ると美しい妙高山、眼下には堀や土塁が見えます。

1701年 稲葉正往が下総佐倉藩に異動となり、佐倉藩の戸田忠真が入城しました。

1710年 戸田忠真が下野国宇都宮藩に異動となり、松平定重が伊勢国桑名藩から入城します。

1741年 松平定賢が陸奥国白河藩に異動となり、榊原政純が播磨国姫路藩から入城し榊原氏の時代で明治維新をむかえました。

豊臣氏重臣をけん制する為、加賀前田氏をけん制する為など、重要な位置づけであった高田城は50分のキャスリングでした。



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