キャスリング 春日山城編(日本100名城)

妙高はねうまライン春日山駅から西に1.7キロ、21分歩くと春日山城跡ものがたり館があります。

車の場合、10台ほど置ける無料の駐車場があります。


春日山城跡ものがたり館に、日本100名城スタンプが置いてあります。春日山城の案内や成り立ちが分かるビデオを上映していますので、ここで情報収集すると良いと思います。

ものがたり館を出ると土塁と監物堀があります。これは上杉景勝が会津へ異動となり、その後に入城した堀秀治が造った土塁と堀です。

春日山城は春日山周辺の5~6キロの範囲までの巨大な山城になっています。山裾に堀と土塁からなる外側の構えが、この史跡広場になります。

春日山城の東側に堀と砦を配した東城砦です。掘立柱建物があり番所的な建物でした。

春日山城跡ものがたり館から西に1.6キロの所に、春日山城駐車場(登り口)があります。15台ほど置ける無料の駐車場です。

築城年は不明ですが、南北朝時代に越後国守護の上杉氏が、越後府中の館(上杉館)の詰めの城として築城したとされています。


1507年 越後国守護代であった長尾為景は上杉定実を擁立し、守護だった上杉房能を追放しました。定実は房能の養子だと言われています。

まずは春日山城跡をどうやって周るかを決めます。ボランティアガイドのおじさんからは、時計周りのルートをお勧めされました。舗装道路で三の丸まで行き、本丸を周って毘沙門堂、直江屋敷、春日山神社を周る所要時間1時間のルートです。

分かりにくいですが、石垣らしい台の上に上杉謙信公の像があり、謙信公に見守られながらキャスリングスタートです!

新しい守護として上杉定実が府中の館に入り、守護代の長尾為景が春日山城主となりました。

上杉謙信像から舗装道路を10分ほど歩くと、山城入り口になります。入り口付近は、上杉氏家臣の甘糟氏の邸宅でした。ここから本丸まで330mです。

1536年 春日山城は、長尾為景から長尾晴景に引き継がれます。

三の丸は、北条氏康の子であり、上杉謙信の養子になった上杉景虎の屋敷や米蔵がありました。

1548年 長尾晴景から弟の長尾景虎(上杉謙信)に家督が継がれます。

三の丸から二の丸に進みます。上越市(直江津)の市街がよく見えます。

二の丸は、古絵図によると「御二階」「台所」と記されており、本丸の警護などが機能があったとされています。

本丸まであと100m!

本丸の南側にある天守閣跡(天守台)に着きました。南を見ると越後富士と呼ばれる妙高山、眼下には、景勝屋敷、柿崎屋敷が見えます。

天守台と本丸を隔てる空堀の階段を下りる大井戸があります。油流は本丸への急斜面となっている場所です。

井戸曲輪の大井戸には、廃城後400年経過しても水をたたえています。隣の山々と礫層でつながりサイフォン効果で水が湧くとされています。井戸さらいをした際には、滑車や杓が発見されました。

井戸曲輪から西側に行くと鐘楼跡があります。

鐘楼跡の下には、御成街道がありました。上杉謙信は二度の上洛で、時の関白だった近衛前嗣との親交を深め、越後府中に3年間滞在してしたほどでした。そこから御成街道と呼ばれました。

さらに西側に行くと上杉景勝屋敷跡があります。

1578年 上杉謙信の死後の家督争いである御館の乱が起きます。北条氏からの養子である上杉景虎と謙信の姉(仙桃院)の子を養子にむかえた上杉景勝との戦いでは、上杉景勝が勝利し、豊臣政権では五大老になりました。

1598年 直江兼続の采配と上杉景勝の義で豊臣秀吉は、徳川家康と伊達政宗の監視役として会津、佐渡島、庄内の120万石を与えました。春日山城から会津へ異動となりました。

下りた道をまた上がり本丸跡まで戻りました。

1607年 春日山城には、越前国北ノ庄城から堀秀治が入城しましたが、海城の福島城を築城したので、春日山城は廃城となりました。

標高180mの本丸からは、越後府中と呼ばれた直江津の町並み(上越市)が見え、日本海が一望できます。

本丸から下がると護摩堂跡があり、護摩を焚き戦勝や息災を祈祷していました。さらに奥には、諏訪堂がありました。

上杉謙信が出陣前や後に、毘沙門天のマントラ「オンベイシラマンダヤソワカ」と唱えていた毘沙門堂跡です。

再建された毘沙門堂の中には、約50センチの青銅製の毘沙門天尊像があります。1928年に高村光雲が修理し奉安されています。

お花畑跡の下の曲輪には、直江屋敷がありました。直江氏は長尾為景の時から家臣として仕えていました。直江信綱は御館の乱の遺領争いで暗殺され、直江氏は跡継ぎがいなくなりました。そこで上杉景勝は幼少期から仕えていた樋口兼続を直江氏の養子なるよう命を下し、直江兼続が誕生しました。

山の斜面を切り開いた小さいスペースの帯郭を随所に配して、防御と連絡通路として機能していました。

春日山城の搦手にあたる春日山神社辺りから続く道を分断する空堀です。

土塁が分断された部分が千貫門となっていました。三方が土塁と土手に囲まれています。

塹壕跡や御屋敷跡まで来るとゴールの春日山神社までもうすぐです。

ゴールの春日山神社に着きました。毘沙門天は戦いの神様のイメージがありますが、商売繁盛、金運アップの神様でもあります。「毘」の旗印をかかげて春日山神社でお参りをして、約1時間のキャスリングでした。



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