キャスリング 松代城編(日本100名城)

JR篠ノ井線篠ノ井駅から東に6.7キロ、長野駅からはバスで松代バス停まで30分です。

車の場合、上信越自動車道長野インターから南に2キロ、6分ほどで松代城駐車場です。無料の駐車場は20台ほど置けそうでした。駐車場から近い二の丸南門まで2分です。


築城時期は不明ですが、武田信玄が信濃侵攻をあしがかりとして、武田方の国衆の清野氏館を山本勘助が改造し、1560年頃に築城されたと言われています。その時は「海津城」という城名でした。

築城は、屋代氏、香坂氏などが行い、上杉氏の春日山城の備えとしました。

日本100名城スタンプは松代城ではなく、ここから200m南にある真田邸の前に置いてあります。

1561年 上杉氏が川中島へ侵攻すると、海津城城代の春日虎綱(高坂昌信)は武田本隊と合流し、第4次川中島の戦いが起きました。

太鼓門前橋をわたり本丸に入ります。入城は無料で9:00~17:00までです。

1582年 武田氏が滅亡し、織田家臣の森長可が入城しました。しかし、本能寺の変が起きると森長可は美濃へ退却し上杉の支配となりました。

両側を石垣で支え櫓門と枡形門で構成されています。

1598年 上杉景勝が会津へ異動となり、福島県守山城から田丸直昌が入城します。

本丸石垣を南西側から見てみました。現在はこの規模ですが、丸馬出や三日月堀など武田流技術が盛り込まれていました。

1600年 田丸直昌と森忠政は領地交換が行われ、この時に待城(まつしろ)と改名されました。しかし森忠政が津山城へ異動となり、松平忠輝家老の花井吉成が入城しました。

本丸に入りましたが、東不明門を見てみました。

1616年 松平忠輝が改易となり松平忠昌が入城します。この時に「待城」から「松城」に変更されます。

お城東側の二の丸芝生広場には番所がありました。北側に周ってみました。

1619年 松平忠昌が高田城に異動となり、酒井忠勝が入城しました。

北不明門から本丸に再入城します。

1622年 酒井忠勝が出羽国鶴ヶ岡城(庄内藩)に異動となり、真田信之が沼田城から入城します。ここから明治までは、真田氏の居城となります。

本丸には、北西隅櫓台の石垣があります。現在修復中(2019年5月)でしたが、7月末には完成するそうです。松代城内では一番古い石垣です。

1711年 幕命により「松代城」と改名されました。

本丸御殿跡には、武田氏が築城した時の海津城の石碑があります。江戸時代中頃まで、御殿がありました。1717年の火災や1770年の水害などで、南西の花の丸に御殿を移しました。

1847年 善光寺地震が発生し、本丸、二の丸、三の丸の塀、櫓などが大破しました。

松代城から南に200m歩くと真田邸があります。

1864年 新御殿の真田邸を建てました。

真田邸の前に日本100名城スタンプが置いてありました。

1600年 犬伏の別れで、父と弟が豊臣方、兄の真田信之が徳川方になりました。明治維新まで真田氏が残り、あの時の苦渋の決断は見事に当たったという事ですね。

(おまけ①)

松代城の南東側に、旧屋代線松代駅の駅舎があります。開放されておりノスタルジーに浸れる場所です。

(おまけ②)

松代城から北に5キロ、車で10分の所に川中島古戦場史跡公園があります。無料の広大な駐車場があります。

川中島の戦いは12年間、5回にわたりましたが、最大の激戦だった4回目の合戦が有名です。案内板でも1561年第4次川中島の戦いを解説しています。

八幡社では合戦の陣地でもあった名残として土塁が残されています。



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