キャスリング 土浦城編(続日本100名城)

JR常磐線土浦駅から北西に1.3キロ、17分歩くと土浦城があります。

車の場合、常磐自動車道土浦北インター(水戸寄り)から南東に4.4キロ、10分、桜土浦インター(東京寄り)から北東に7.2キロ、13分ぐらいで着きます。

駐車場は、土浦城北側にある土浦市立博物館の駐車場を利用すると良いと思います。土浦城東櫓の入場券と共通になっている事で駐車場も無料になります。共通入場券は大人105円です。


平安時代に平将門が砦をこの地に築いたという伝説があります。

室町時代の1429年~1441年の間に、常陸守護の豪族に属する若泉三郎が築城したとされています。

お城の東側にある霞門からキャスリングスタート!霞門をくぐると本丸広場です。霞門の左には東櫓があります。

1516年 若泉五郎左衛門が城主の時に、菅谷勝貞により奪われました。しかし上杉氏、佐竹氏の勢力に押されて佐竹氏の配下となりました。

本丸の奥には西櫓があります。西尾氏の時代に本丸土塁上に東西の櫓が建てられました。戦後まで太鼓櫓、霞門、西櫓が残っていましたが、昭和24年の台風で壊れ、その後復元されました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で、菅谷氏は北条氏と手を組んでいたため共に滅亡しました。関東に入封した徳川家康は次男の秀康を結城氏に婿入りさせ、結城城の結城氏支城として土浦城を与えました。

本丸の南側にある二の丸には、土浦城絵図などがあります。

1601年 結城秀康が越前国北ノ庄城に異動すると、藤井松平氏の松平信一が入城します。松平氏時代に土浦城の原型がほぼ出来上がりました。

二の丸から本丸へ通ずる太鼓櫓門をくぐります。この櫓門は、1656年に改築されたとされ、本丸にある櫓門としては関東地方唯一の現存櫓門で、土浦城のシンボルになっています。

1617年 2代目の松平信吉は、土浦城を改築、水戸街道の整備など行いましたが、上野国高崎城の移動となり、上野国白井城(渋川市)から西尾忠永が入城します。

本丸東側にある東櫓に入ります。開館時間9:00~16:30で、隣接された博物館の付属として共通券があります。大人105円です。ここに続日本100名城スタンプが置いてあります。

1649年 2代目西尾忠照が駿河国田中城に異動となり、下野国鹿沼藩から朽木稙綱が入城しました。朽木氏時代に太鼓櫓門が改築されました。

東櫓は、木造で復元され、土浦城の歴史が学べます。

1669年 2代目朽木稙昌が丹波国福知山城に異動となり、幕府の若年寄、老中の土屋数直が入城し、9万5千石となり、常陸国では水戸藩に次ぐ藩となりました。

霞ヶ浦と利根川を利用した水運が盛んになり、水陸交通の要衝地となりました。

1682年 松平信興が入城し、1684年にはお城の大改修が行われます。奉行は、松平氏家臣の山本菅助が行いました。武田氏家臣、軍師の山本勘助の子孫で、大手口、搦手口は、武田流の築城術で造られていました。

1687年 土屋政直が入城し、土屋氏が10代続き明治維新をむかえます。

二の丸の南東側は外丸となり、外丸と二の丸の間に、旧前川口門があります。

高麗門形式の前川口門は、武家屋敷の多計郭と町屋を仕切る門でした。一時期お寺に移築されましたが、現在の二の門跡に移築されました。

土浦城西側にある、土浦市立博物館に寄りました。土浦城の模型や歴史が詳細に学べます。

昔の土浦は、霞ヶ浦と利根川と網の目のような川で水運が栄え、物流の一大拠点となりました。

9代藩主土屋彦直は、水戸藩主徳川保治の三男、11代藩主土屋挙直は、徳川斉昭の第17子でした。幕末になり倒幕派、佐幕派の間に追い込まれる状況にありました。陣羽織は土屋氏家紋んの立て三つ石です。

公園を散歩するように散策できる土浦城と博物館とで、40分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする