キャスリング 江戸城編(日本100名城)

東京駅の中央口から西に約10分歩くと、和田倉門、和田倉噴水公園があります。和田倉噴水公園の休憩場に日本100名城スタンプが置いてあります。北側に向かうと大手門が見えてきます。(100名城スタンプは3カ所です。和田倉休憩場、楠公休憩場、北の丸休憩場です)

【江戸城 皇居東御苑編】

江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部は、皇居東御苑として整備して公開しており、皇居東御苑の出入り口は、東側の大手門、北東側の平川門、北西側の北桔橋門(きたはねばしもん)と三か所あります。今日は、東側の大手門からキャスリングスタートです!

大手門の手前では、持ち物検査があり鞄の中をチェックされます。江戸城の正門だけあって立派な渡櫓です。入城は無料です。

平安時代末期から鎌倉時代まで江戸重継の居館が置かれていたとされます。

進んでいくと同心番所があります。番所とは警備室みたいなものでしょうか。同心とは下級役人の一つで庶務、警護をする方たちです。綺麗で大きい切り込み石垣の三方は多聞櫓でした。

1457年 太田道灌が築城、1590年の小田原攻め後、徳川家康が入城し大きくなっていきました。

長い建物は百人番所で、同心が百人詰めていたのが由来だそうです。江戸城最大の護衛所で鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組(二十五木騎組)が警備にあたっていました。

さらに進むと、本丸最後の番所の大番所です。他の番所よりも位の高い人たちが警備をしていました。

徳川家光時代の天守台に使われた石垣は火事で焼け焦げており、その後も使いまわしているので形がいびつです。歴史を感じますね。

さらに奥に進むと松の大廊下跡の石碑があります。ここが赤穂事件の発端となりました。

富士見櫓の内部は、時間帯によって見学できます。窓からは宮内庁の建物が見えます。

大奥の脇にあったとされる石室(いしむろ)です。非常時に家具などを保管する場所と推定されます。

昭和天皇が吹上御所から移動させたとされる竹林です。様々な種類の竹が植えられています。

いよいよ天守台まで来ました。天守は、徳川家康の改築以後、1607年、1623年、1638年と三度築かれています。1657年の明暦の大火で焼失して以降、現在も残る天守台は、加賀藩前田綱紀によって築かれましたが、幕府重鎮の保科正之により、「江戸城下の再建を優先すべき」との事から天守は築かれず、本丸の富士見櫓を天守代わりにしていました。

また別の日には、馬場先門から正門にアプローチしました。

正門と二重橋です。皇居らしい美しい風景です。

楠木公の像と楠休憩場です。ここにも100名城スタンプが置いてあります。

日比谷濠から見た皇居南東側と向かいには、旧GHQ本部にあった第一生命ビルがあります。江戸城は日本一の大きさで1回の訪問だけでは把握できないので、徐々に周っていきたいと思います。

【江戸城内堀編】

(和田倉門)東京駅から歩いて和田倉門に行きます。1620年仙台藩主伊達政宗によって築かれ、1628年熊本藩主加藤忠広によって改築されました。

(大手門)大手門から反時計周りで門を巡っていきます。江戸城の正門で、藤堂高虎によって築かれました。

(神田橋門跡)1629年下野真岡藩主稲葉正勝により築かれました。将軍が上野寛永寺に参詣する為の門でもあった為、警備は厳重でした。

(一ッ橋門跡)8代将軍吉宗の四男宗伊を家祖として、一橋家を起こしました。それが名前の由来となります。一橋家からは、11代将軍家斉、15代将軍慶喜が輩出されました。

(平川門)平川門の西側は、細長い帯曲輪となっています。江戸城三の丸の正門として、御三卿(一橋、清水、田安)の登城口や奥女中の通用門として使われていました。また江戸城の鬼門として不浄門とも呼ばれていました。

平川門近くには、太田道灌が江戸城築城550年にあたり顕彰した追慕の碑です。

(竹橋門跡)竹橋を過ぎて清水濠沿いを歩いていきます。

(清水門・重要文化財)1624年広島藩主浅野長晟によって建てられました。

一般の方でも入れ、ここから北の丸公園に行けます。

北の丸公園には、吉田茂像と孝明天皇の義弟の北白川宮能久親王像があります。他にも日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術館と工芸館、国立公文書館があります。

(田安門・重要文化財)1636年に建てられたとされ、八代将軍吉宗の時に、次男宗武を家祖として田安家を起こし、この辺り一帯は田安家が所有していました。

(乾門)明治になって建てられ、一般の方は入れません。

千鳥ヶ淵から半蔵濠を歩きます。鉢巻石垣が続きます。

(半蔵門)現在の門は和田倉門から移築されました。徳川家の家来、服部半蔵が警固していた事が名前の由来とされています。

半蔵門を過ぎると、桜田濠になります。ここの土手下にある井戸(柳の井)は、干ばつでも枯れる事のなかったとの事です。

(外桜田門・重要文化財)いわゆる桜田門です。周辺の石垣は、茨城県真壁藩浅野長重によって築かれました。

(皇居正門・西の丸大手門)正門石橋と伏見櫓です。石橋から皇居正門を見てみました。

(坂下門)1860年桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、公武合体と開国を奨める磐城平藩主安藤信正は、坂下門で水戸藩浪士から襲撃されました。(1862年坂下門外の変)現在は、宮内庁の通用門として使われており、一般の方は入れません。

(桔梗門・内桜田門)大名の登城は大手門は桔梗門でした。現在は、皇居一般参観の入城門となっています。

当日受付場所もあり、今度は一般参観をしたいと思います。

大手門まで戻ってきて1周約8キロ、90分の門巡りでした。

【江戸城外堀編】

(虎ノ門編)

虎ノ門駅11番出口の霞が関コモンゲートに向かう途中に、江戸城外堀跡地下展示室があります。

1636年 江戸城の外堀として築かれた石垣は、長さ20m、高さ7.4mの部分だけ修復し保存されています。ここから1キロ北に行くと桜田門です。

推定される水面から見上げた石垣を再現しています。

1604年~1636年にかけて造られた江戸の外堀の総延長は約14キロに及びます。江戸城の石垣は、伊豆半島の石切場から船で運搬されて普請されました。ここから西500mほどに外堀の溜池がありました。(溜池山王付近)

赤い案内板は、外堀石垣の位置と現在の地図を重ね合わせています。櫓台跡が残っているので、この後見に行きます。

上から見た虎ノ門石垣と虎の門三井ビルの近くにある、外堀石垣の溜池櫓台です。

(芝口御門)

新橋駅から東に300mほどにある、芝口御門跡です。

芝口御門の斜め向かいにある、三十間堀跡は、堀の東側に尾張徳川氏、紀伊徳川氏の蔵屋敷が並んでいました。

有楽町駅の隣にある東京国際フォーラムの東側の建物には、太田道灌の像があります。この時は江戸城の模型や案内パネルなどが展示されていました。

太田道灌が築城した江戸城を見ると、まさかここまで巨大都市になるとは想像していなかったと思います。

山内上杉氏、扇谷上杉氏、北条氏など様々なせめぎ合いの地でしたが、その礎を創った人です。

(おまけ)

江戸城大手門から北東に300mの所に、将門塚があります。



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