キャスリング 河越氏館編(常楽寺城)

東武東上線霞ヶ関駅から南東に1.3キロ、16分歩くと河越氏館跡があります。

車の場合、無料の史跡公園駐車場があります。かなりの台数が停められます。


河越氏は桓武平氏の流れをくむ秩父氏を祖とする豪族で、平氏、源氏、北条氏、足利氏などの有力者と関係を築いていきました。

1156年 保元の乱で河越氏は後白河天皇軍(源頼朝配下)として参戦しました。

公園内は綺麗に整備されており、気持ちよくキャスリングできます。

1180年 源頼朝が伊豆国で挙兵し、鎌倉に入りました。河越頼重は源頼朝を補佐し、源義経に従い上洛しました。頼重の娘を義経の正室としておくり関係を強化していきます。

1185年 源頼朝に義経討伐に宣旨が下され、河越頼重は所領を没収され、その後殺害されました。

河越氏館のイメージ図を記憶して公園内を周ってみます。

1221年 承久の乱で河越重員は、北条氏率いる幕府軍に参戦しました。

1331年 楠木正成が挙兵した際に河越貞重は、幕府の楠木攻めに参戦しました。

1352年 足利尊氏の武蔵野合戦の際に河越直重は、尊氏軍として参戦し新田軍を破りました。

河越氏祖先を祀る霊廟や納骨堂と推定される塚状遺構があります。

1359年 畠山国清の南朝討伐の際、河越直重は国清に参戦しました。しかしその後相模守護を解任されました。

1368年 河越直重は、平一揆の乱を起こしましたが、鎌倉公方から攻められ没落しました。

河越氏の屋敷地を区画した堀があります。

1497年 山内上杉顕定はこの地に陣所を構えました。陣所を区画した堀跡があります。

1504年 対立を深めていった山内上杉氏と扇谷上杉氏は、この地にて合戦しました。

1537年 扇谷上杉朝定は、北条氏綱に敗れ松山城に退去しました。その後、この一帯は、北条氏家臣の所領となります。

1561年 北条氏家臣の大道寺政繁は、河越城主として城下町や宿場町、治水などの整備しました。

堀区画の外周には道路跡が見つかりました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐により、北条氏は滅亡し、河越城も廃城となりました。

13世紀後半の河越氏時代の井戸跡とがあります。

河越氏時代の掘立建物跡が見つかっています。

河越氏が没落した後も、整備された区画や水運などで陣所や屋敷として利用された遺構が残っています。16世紀頃に造られた堀が見つかり、何度も拡張や堀直しされた痕跡が残っています。

隣接する上戸小学校には河越氏館の資料展示室が設置され、日曜の10時~15時で開館しています。

河越氏館の西側には、土塁と河越氏館の石碑があります。

敷地の南側には河越館跡の案内板があります。

敷地の南東側には常楽寺があります。

鎌倉時代の後半には、河越氏館の中に常楽寺が開山されました。

時宗15代上人が訪れ念仏札を配って、大勢の人々で賑わったそうです。史跡公園から常楽寺含めて40分のキャスリングでした。



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