キャスリング 岩槻城編

東武野田線岩槻駅から東に1.5キロ、20分歩くと岩槻城址公園に着きます。

車の場合、岩槻城址公園に第一から第三まで無料の駐車場があります。今回は第二駐車場に停めました。


岩槻城址公園の看板の横に、昔の岩槻城絵図の案内板があります。元荒川が天然の堀となり、さらに沼に囲まれた、忍城のような縄張りになっている事が分かります。

1457年 扇谷上杉持朝と太田道真、道灌父子が古河公方足利成氏が築城した説と、1478年古河公方方の忍城主成田顕泰父の成田正等が築城した説があります。

城址公園には、野球場やテニスコートなどありますが、テニスコートの横に岩槻城城門があり、市の指定文化財です。お城のどこに置かれていたかは不明です。

1522年 扇谷上杉氏と山内上杉氏の攻防が激化すると、扇谷上杉氏家臣の太田資頼が岩槻城を奪いました。

奥に進むと現在の公園とリンクした案内板があります。現在の公園は本丸ではなく、南側の新曲輪、鍛冶曲輪が公園になっています。

1525年 太田資頼と北条氏綱が戦った岩付城の戦いが起き、落城しましたが、5年後にまた奪い返しました。

道路の方には、岩槻城裏門があり、黒門同様に市の指定文化財です。

1546年 河越夜戦で北条氏綱の勢力が大きくなる中、1564年に調略などで北条氏の城になり、北条氏直の弟の源五郎が城主となりました。

公園内に戻っていくと、堀障子があります。発掘調査では、堀底まで3mもあり、堀障子になっている事が分かりました。北条氏特有の築城技術は、山中城、小田原城などが有名ですね。現在は保存の為に埋められており、山中城みたいに見る事はできません。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏は滅亡し、徳川家譜代家臣の高力清長が2万石で入城しました。

堀障子の奥に進むと空堀と土塁で鍛冶曲輪が囲まれているのがよく分かります。

江戸時代には、青山氏、阿部氏、板倉氏、戸田氏、藤井松平氏、小笠原氏、永井氏など江戸城の北の守りとして譜代大名が入りました。

岩槻城の別名、白鶴城の石碑があります。

9代将軍徳川家重の側用人、大岡忠光が入城し明治維新まで大岡氏の居城となりました。

昔の沼の名残らしき沼があり八つ橋があります。中国の九曲橋みたいで、蓮の花が咲いており、市民の憩いの場になっています。

城の外郭は約8キロと大きく、天保年間の岩槻城は100万㎡と巨大な城郭でした。将軍家の日光参詣の拠点となっていました。

土塁もあちこちに残っています。奥には、子供の頃に乗った東武ロマンスカーきぬが置いてあります。懐かしくて泣きそうになりました。

気持ちの良い朝の散歩がてらのキャスリングは30分でした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする