キャスリング 高島城編(続日本100名城)

JR中央本線上諏訪駅から南に1.3キロ、15分歩くと高島城に着きます。

車の場合、諏訪市役所にある無料の観光駐車場があります。


諏訪郡の領主だった諏訪氏は、高島城の北にある茶臼山の茶臼山城(旧高島城)を居城としていました。

駐車場の目の前に高島城の石垣とお堀があります。隅櫓が見えてきました。

諏訪氏が武田信玄によって滅ぼされ、武田氏家老の板垣信方が諏訪氏の上原城に入城し、諏訪郡司となりました。

冠木橋から天守閣が見えます。

1548年 板垣信方が上田原の戦いで戦死し、長坂虎房が茶臼山城(旧高島城)に入りました。その際に茶臼山城は、足軽大将の山本勘助により改修されたと言われています。

冠木門をくぐります。諏訪湖と衣之渡川、中門川などを堀として、沼に囲まれていました。地盤が軟弱なので沈まないように、大木の筏の上に石垣を積んでいます。

1582年 武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変で亡くなると、武田氏遺領の争いである天正壬午の乱が起きます。諏訪郡を取った諏訪頼忠が諏訪に入り、金子城を築きますが、武蔵国に異動となり、豊臣秀吉家臣の日根野高吉が茶臼山城に入城します。

名称は冠木門ですが、冠木門から楼門、高麗門だったとされています。

1592年 諏訪湖畔に現在の高島城を築城しました。その際に、漁業権や賦役免除間などの特権で人を集め、上原城周辺の業者を高島城近くに移転させて城下町も整備しました。

本丸に入ると高島城本丸絵図があります。天守に小天守、本丸御殿に月見櫓、富士見櫓、隅櫓、二重櫓などあった事が分かります。

1601年 日根野氏が下野国壬生藩に異動となり、譜代大名の諏訪頼水が入城します。その後、諏訪氏は10代まで続き、明治維新を迎えました。

高島城の案内板には、諏訪氏家紋の梶葉紋が描かれています。

天守閣の入場料は大人300円で、開場時間9:00~16:30(4月1日~9月30日まで17:30)です。

天守閣の中に、続日本100名城スタンプが置いてあり、郷土資料、史料が展示されており、高島城の歴史が学べます。撮影禁止の展示物もあります。

3階は展望室になっており、東に八ヶ岳、西に諏訪湖が見えます。今は諏訪湖まで直線距離で600mぐらいですが、かつては諏訪湖のほとりにあった水城でしたが、江戸時代に干拓で埋め立てられました。

1871年 廃藩置県で高島県となり、1875年城は破却され堀と石垣だけになりましたが、1970円に天守閣や隅櫓、冠木門が再建され、公園として憩いの場になっています。

武田氏に一時期滅ぼされた諏訪氏が、最後まで城主として生き抜いた事が分かった40分のキャスリングでした。



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