キャスリング 戸石城編

JR北陸新幹線、しなの鉄道上田駅から北東に5.3キロ、75分歩いた所に戸石城跡があります。

車の場合、上信越自動車道をおりて、北東に2.2キロ、5分ほど無料の駐車場があります。第一駐車場は3台ぐらいですが、第二駐車場もあります。


築城時期は不明ですが、真田郷にある真田氏の外城として築城されたと言われています。

戸石城の案内看板があるので確認していきましょう。

戸石城は、東太郎山の尾根上に築かれたお城で、手前側にある戸石城と奥にある本城、さらに奥にある枡形城、西側にある米山城から構成されています。全部周ると所要時間90分ほどです。

1541年 この地を支配していた海野氏一族は、海野平の戦いで甲斐の武田信虎、埴科の村上義清、諏訪の諏訪頼重の連合軍で負け、戸石城は村上義清の拠点として改修されました。

駐車場の道を上がっていくと、「なめんなよ」の石板があります。後ほどその意味が分かります。まずは門があり雰囲気が出ています。

最初は戸石城までゆるやかに10分ぐらい上がっていきます。左手には米山城が見えます。

20分ぐらいで、左手(米山城)、右手(戸石城)の看板が出てきます。ここから勾配がきつくなってきます。

階段を上がりきると戸石城に着きます。上田市内が一望できます。

1550年 武田信玄は村上義清の戸石城を攻めます。しかし村上軍に負け敗走します。戸石崩れと呼ばれています。しかし1551年武田氏家臣だった真田幸隆が戸石城を奪い、真田郷の領地を与えられました。

戸石城の裏手には切岸があります。

1585年 武田氏が滅亡し、上野国沼田、吾妻の領地をめぐり、徳川家康と真田昌幸との間で上田合戦が起きます。その際に、真田氏の本拠地であった上田城の支城として戸石城は機能しました。

戸石城と本城の間に大手口があります。

1600年 関ヶ原の戦いの際に起きた第二次上田合戦では、東軍に属した真田信之に戸石城攻めを命じ、落城させています。複雑な心境だったと思いますが、真田氏の名を残すためですね。

虎口風になっている部分は石垣が残っています。

石垣を上がると本城です。ここから枡形城まで5分です。

空堀跡や矢に使われる矢竹があります。

最後のきつい坂を上がると枡形城です。傾斜がきついのでロープを使って上り下りした方が良いです。なので軍手は持っていって下さい。所々岩場もあるので、トレッキングシューズが良いです。

入り口が折れ曲がっている事から枡形城と呼ばれた戸石城の最高地点です。ここからは東には真田本城や真田町が一望できます。

戸石城と米山城の分かれ道まで戻り、米山城に向かいます。途中から「ゆるやかコース」「きついコース」が選べます。もちろん「ゆるやか」を選びました。

戸石城から15分ぐらいで米山城に着きました。

そして米山城から駐車場に戻ってきました。武田氏、村上氏、真田氏、徳川氏のせめぎ合いの地でした。ここの主人公は真田氏なのでしょう。地形を見ると甲斐、善光寺、佐久、吾妻の地域の交通の要衝である事が分かります。

3.3キロ、約1時間のキャスリングでした。山城という事は分かっていましたが、トレッキングシューズや虫よけなどの装備する事をお勧めします。



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