キャスリング 逆井城編

関東鉄道常総線宗道駅から西に13キロの所に逆井城跡があります。

車の場合は、無料の駐車場があります。


築城時期は不明ですが、1452年~1454年の間に小山義政の五男の常宗が逆井氏を名乗り居城にしたとされています。逆井氏時代は逆井古城という城名でした。

1536年 逆井常宗の孫の常繁の時に古河公方方にいたので、対立していた北条氏と戦になります。北条氏康家臣の大道寺盛政に筑波で合戦し、常繁は討死、逆井城は落城したとされています。(諸説あり)

公園の手前に案内看板があります。駐車場から城跡公園内に入ります。

1560年頃 逆井は関宿城の簗田氏の知行地になっていました。

木橋の左側は深い堀になっており、渡ると曲輪になっています。木塀や二重櫓、井楼櫓は、良い感じで復元されています。

1572年 北条氏は小山城、関宿城を攻め、関東進出を活発化させていきます。

二重櫓は無料で入れます。

1577年 玉縄城主の北条氏繁により、逆井城を新たに築城しました。結城氏、佐竹氏、宇都宮氏などが連合で北条氏に対抗したためと、常陸、下野への最前線基地として強固にする為だとされています。北条氏時代は飯沼城という城名でした。

二階建ですが階高が高く良い見晴しです。

1578年 北条氏繁が飯沼城(逆井城)で没し、北条氏舜(うじとし)が城代となりました。

奥に進むと関宿城の城門と伝えられる遺構が残っています。薬医門形式の門は久世氏時代のものとされ、移築されました。

1580年 北条氏舜の弟の氏勝が城代となりました。

逆井城と同時期に存在していた、茨城県潮来市の大台城の主殿がここに復元されています。内部も見れます。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐により、北条氏は滅亡し、逆井城も廃城となりました。

茨城県坂東市岩井にあった大安寺の観音堂が移築、復元されています。1588年の建立時と1845年の改造の棟札がありました。

南側は櫓などが復元された解放感のある明るい芝生広場でしたが、北側に周ると一転し、土塁や堀が残っています。逆井氏時代と北条時代の築城術が融合しています。

クランク状の堀や土塁が良好に残っており、なかなか見応えがあります。北に西仁連川、西には飯沼という沼に囲まれ台地上に築かれた堅固な城でした。(飯沼は干拓で残っていません)

憩いの場として地元から愛されているお城は30分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする