キャスリング 村上城編(続日本100名城)

JR羽越本線村上駅から東に2キロ、26分歩くと、村上城跡があります。

車の場合、無料の駐車場があります。

続日本100名城スタンプの設置場所は、3ヶ所あります。

1ヶ所目は東北電力村上営業所です。24時間押印可が夜討ち朝駆け派には嬉しいですね。今回はここで押しました。村上城パンフレットもありました。


2ヶ所目は、おしゃぎり会館(開館9:30~16:30)です。詳しくは村上市観光協会のHPを確認して下さい。

村上城跡駐車場は、お城の麓にあり綺麗に整備されています。手前には、堀直寄におって築かれた下渡門跡と石垣が残っています。


続日本100名城スタンプ設置場所:3ヶ所目は村上城跡保存育英会です。土日祝日閉館で開館は平日9:00~12:00です。詳しくは、村上市観光協会のHPで確認して下さい。

村上城跡保存育英会の横に村上城跡石碑がありここが登城口となります。

築城年は不明ですが、1500年台地頭職として入った坂東八平氏の秩父氏を祖とする本庄時長が築城したとされており、当時は本庄城と呼ばれていました。

標高135mの臥牛山の麓には城主居館跡があり、臥牛山頂の本丸に行くには、一文字門を通らなければなりません。居館跡の横には、最後の防御拠点の一文字門跡があります。

1568年 本庄繁長は上杉謙信に反旗を翻し戦いますが、翌年に伊達輝宗、蘆名盛氏の仲介で和議が成立し、謙信に降ります。

それでは臥牛山頂の本丸に向けてキャスリングスタートです!夏なので蚊除けスプレー、帽子は必須です。そこそこ整備された道なので運動靴ぐらいで良いと思います。

1588年 本庄繁長は戦いで最上義光を破りました。

大手道である七曲り道を登ってから20分ぐらいで石垣が見えてきました。

1598年 上杉景勝が会津へ異動となり、加賀小松城から村上頼勝が9万石で本庄城に入城します。ここから村上城として城郭と城下町を整備します。

出てきた石垣の四ッ門跡は、北側の三の丸(調練場跡)、南側の二の丸を隔てています。まずは三の丸の調練場跡を周ってみます。

1618年 村上忠勝の時にお家騒動となり改易されます。越後長岡城から堀直寄が10万石で入城し、惣堀の開削、石垣の構築、三重の天守の構築に着手しました。

東側の玉櫓跡、北側の靱櫓跡の足元は石垣になっています。

1642年 堀直定が7歳で死去し堀氏がお家断絶します。1644年に遠江掛川城から本多忠義が10万石で入城します。

反対側の二の丸に向かいます。石垣の四ッ門跡を過ぎると案内看板があります。南北に長いお城だと分かります。

1649年 本多忠義が陸奥白河城へ異動となり、播磨姫路城から松平直矩が15万石で入城します。三重の天守の建て替えや石垣など大規模に改造しました。

また石垣が出てきました。ここは御鐘門跡の石垣です。

1667年 松平直矩が姫路に異動となり、姫路から榊原政倫が15万石で入城します。しかし落雷で三重天守が焼けおちてしまいます。

御鐘門跡を過ぎると木々の隙間から朝日、飯豊連峰の山々が見えました。さらに奥に行くとさらに大きい石垣が出てきました。出隅櫓跡の石垣と奥が本丸石垣です。

1704年 榊原勝乗が姫路に異動となり、姫路から本多忠孝が15万石で入城します。

本丸の入り口である黒門跡です。石垣は野面積み、打ち込みハギ、切り込みハギと様々な時代の石垣が残っています。

1710年 本多忠良が三河刈谷城へ異動となり、上野高崎城から松平輝貞が7万2千石で入城します。

本丸の東側を守る平櫓跡です。東側には、中世遺構散策コースがあります。ここは本庄氏が上杉謙信からの防御態勢を造った時の遺構(竪堀・曲輪など)が数多く残されています。時間があればこちらから散策するのも良いですね。

1717年 松平輝貞が上野高崎城に異動となり、上野高崎城から間部詮房が5万石で入城します。

冠木門跡を越えれば本丸です。

1720年 間部詮房が越前鯖江に異動となり、河内大坂城代の内藤弌信が5万90石で入城します。ここから150年間は内藤氏が治めます。

本丸の天守跡からは、村上市内と日本海が一望できます。

1868年 村上藩は奥羽越列藩同盟に加盟し戊辰戦争で戦いましたが、村上城は全焼しました。

歩くのは大変ですが、石垣と良い景色がご褒美なのが山城の醍醐味ですね。

1869年 内藤信美の時代に版籍奉還となり、村上城は役目を終えました。

往復2.3キロ、約1時間のキャスリングでした。お城の西側から臥牛山を見てみました。

(おまけ)

キャスリングですいたお腹を満たすのは、村上城から車で15分の岩船港漁師食堂です。漁師定食と生牡蠣を頂きました。




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