キャスリング 古河城編

JR宇都宮線古河駅から西に2キロ、東武日光線新古河駅から南東に1.7キロの所に古河城本丸跡があります。

車の場合、渡良瀬川の河川敷土手沿いの道を走ると土手上に石碑があります。ドローン専用練習場の近くでした。

1180年頃の平安時代末に、御家人の下河辺行平が築いた事が始まりとされています。

1455年 古河公方の足利成氏は、関東管領上杉氏との勢力争いで古河城を拠点にしました。古河城は、利根川、渡良瀬川に囲まれた天然の要害で、小山市、結城氏などの味方も近いという理由もありました。(※別拠点として古河公方館もあります。詳しくは古河公方館編で)


1567年 北条氏の関東支配が進むと北条氏照の元、古河城の整備拡張が進められました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡し、小笠原秀政が3万石で入城すると東北地方への監視、江戸防衛の為、城郭を整備拡張しました。

1601年 小笠原秀政は信濃飯田城に異動となり、上野国白井城より松平康長が2万石で入城します。

1612年 松平秀長が常陸笠間城に異動となり、武蔵国本庄城より小笠原信之が2万石で入城します。

1619年 小笠原信之が下総関宿城に異動となり、下野国宇都宮城より奥平忠昌が11万石しますが、宇都宮城釣天井事件で、宇都宮城に戻りました。

1622年 奥平忠昌に代わって、常陸国笠間城より永井直勝が7万2千石で入城します。

1635年 永井氏が山城国淀城に異動になり、下総国佐倉城より土井利勝が16万石で入城します。御三階櫓を造営し、南北1800、東西650mの巨大城郭となりました。

その後、堀田氏、藤井松平氏、大河内松平氏、本多氏、松井松平氏、土井氏で明治維新を迎えました。

明治の廃城令と渡良瀬川の治水事業でほぼ遺構がありませんが、門跡、曲輪、土塁が市内に所々残っています。

河川敷の本丸跡だけなので5分のキャスリングでした。



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