キャスリング 松井田城編

JR信越本線西松井田駅から北に2キロの所に松井田城跡があります。

車の場合、国道18号線から北に折れると案内看板がありますので、細い道を進むと砂利の駐車場があります。車は3台ぐらい置けそうでした。駐車場から本丸までは歩いて20分ほどです。

案内看板に縄張り図がありますので、全体像を掴んでキャスリングスタートです!


無料の砂利駐車場です。松井田城の北に位置し、榛名山、赤城山が臨めます。駐車場に詰所と貸し出し用の杖があります。熊に注意ともありますので、鈴や音楽をかけて行きます。

城の北側には東山道、南側に中山道と交通の要衝に位置し、標高250m~410mの尾根上に築かれた山城です。登り始めてすぐに土塁、堀切があります。

1560年頃 安中忠政が築城したとされ、この地域は武田信玄からの攻撃を受けており、碓氷峠の近くもあって準備したとされています。

山道は緩やかな方だと思いますが、滑りやすい土なのでトレッキングシューズなどが良さそうです。

1564年 武田氏の攻撃で安中忠政は松井田城を開城しました。安中城の忠政の子の忠成は早くから降伏した事もあり、安中の所領は安堵されましたが、忠政は徹底抗戦したため松井田城の没収と隠居を余儀なくされました。

途中で二岐に分かれます。左が連続竪堀群、右が水の手(本丸)になります。

武田氏に没収された松井田城は、武田氏家臣の小山田虎満、昌成父子に与えられました。

山の等高線と平行に掘られた横堀がありますが、長年の時が経過し堆積物などで幅などが不明です。

1582年 武田氏が滅亡すると、後閑氏が北条氏と組み松井田城を奪いましたが、すぐに織田信長軍の滝川一益に奪取されます。それにより与力の津田秀政に与えられました。

途中で水の手と本丸に分かれますが、右手の本丸方面を目指します。

1582年 織田信長が本能寺の変で討たれると、神流川の戦いで織田方の滝川一益が北条氏に敗れます。北条氏直の軍が松井田城に入り、家臣の大道寺政繁が入城します。

大手門跡が出てきましたが石垣らしき石があります。

1582年 織田信長という統治者がいなくなり、甲斐、信濃、上野の奪い合いの天正壬午の乱が起きます。北条氏は碓氷峠を越えて信州に進出しますが、徳川家康との和睦により、碓氷峠を北条氏の領地の境目とし、松井田城を大幅に改修しました。現在の遺構の殆どはその当時のものだとされています。

ここから傾斜がきつくなってきますが、もう少しで本丸です。

1589年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏は滅亡し、前田利家、上杉景勝、真田昌幸が松井田城を攻撃しますが、なかなか落ちませんでした。

本丸に着きました。

籠城戦となりますが、ついに大道寺政繁は城を明け渡し廃城となりました。

本丸から東に進むと櫓台、安中郭があります。

櫓台や本丸と二の丸の間の堀切があります。

本丸から西に進むと馬出、二の丸があります。

二の丸から西の連続空堀に向かうルートは、ロープを使いながら降りていきます。滑りやすいので今日はここまででした。往復2キロ、約40分のキャスリングでした。



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