キャスリング 大多喜城編(続日本100名城)

いすみ鉄道大多喜駅から西に700m、10分歩くと大多喜城があります。

車の場合、有料の大多喜城駐車場があります。普通車24時間で200円です。駐車場から大多喜城まで歩いて3分ほどです。


駐車場から大多喜城に向かう最後の大多喜城主の松平正質(まさただ)が飲料水、用水確保の為に造った大多喜水道があります。

開館時間は9:00~16:30までで、入城料は大人200円です。

1521年 真里谷信清が大多喜城から700m北にある根古屋城(小田喜城)を築城した事が始まりとされています。

1544年 城主の真里谷朝信の時、里見氏家臣の正木時茂により城が奪われました。その後、時茂、信茂、憲時の3代に渡って支配しました。

模擬天守は、千葉県立博物館大多喜城分館となっており、史料や展示物が充実しています。

1581年 里見義頼との内紛で正木憲時が殺害され、里見氏の代官が派遣されます。

1階には千葉県の城が網羅されています。房総半島内で群雄割拠していた事が分かります。

1590年 豊臣秀吉の惣無事令で里見氏は違反し、上総国は没収されました。その後、徳川家康に与えられました。

2階には、続日本100名城スタンプと徳川家康十六神将の絵図があります。

1951年 徳川家康の家臣で徳川四天王の一人である本多忠勝は、万木城に入城しますが、その後10万石で大多喜城に入城し、大多喜藩主となりました。

その後、阿部正次、青山忠俊、阿部氏、稲垣氏、松平氏(大河内松平氏)が9代続き、明治維新を迎えました。

天守部分から眼下に大多喜高校が見え、丘陵地帯の高台に建てられている事が分かります。大多喜高校には、大多喜城唯一の遺構の薬医門が現存しています。天守には、大多喜城下町のジオラマもあり当時の雰囲気が伝わります。

地上におり土塁が残っていました。ここから薬医門まで200m、大多喜駅まで700mです。

本多忠勝は、里見氏が北上して来ないように、三層四階の天守と城下町を整備しました。房総半島内でのせめぎ合いも今は昔、のんびりとした時間が流れていました。40分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする