キャスリング 瀬戸山城編

瀬戸山城のアクセスは、電車ではどこからも遠い(芸備線三次駅から北に30キロ、山陰本線出雲市駅から南に57キロ)ので、車でのアクセスとなります。

目印は、赤名小学校で学校の北側を道を山(東方向)に向かうと、画像のような登山口があります。駐車場は学校に停めるか、登山口にちょっとしたスペースがあります。

土の登山路なので、トレッキングシューズと虫よけ対策をしていきましょう。


登山口から本丸までは25分ほどです。登り始めて5分で松田左近の墓があります。

松田左近は、堀尾氏家臣として瀬戸山城の城番となり近世城郭への改修と城下町を整備を行いました。

1377年 赤穴荘の地頭となった佐波常連により築城され、赤穴氏を名乗りました。出雲、石見、備後の国境に接し、尼子氏の月山富田城の支城として機能しました。

1542年 大内義隆軍(陶氏、毛利氏など4万)が尼子氏(赤穴光清ら2千)を攻めました。2カ月にわたる籠城戦の末に開城しました。

頂上まであと500m!あともう少しで鬱蒼とした雑木林が開け、本丸が見えてきます。

1562年 毛利氏は出雲に侵攻し、瀬戸山城を見下ろす東側の武名ヶ平山に陣を構えました。(武名ヶ平山城)城主の赤穴盛清は毛利氏に従いました。

大手門跡がありますが、これは近世期に整備されたと言われています。

1600年 関ヶ原の戦い後、毛利氏は周防国、長門国に減封され赤穴氏もこれに従いました。

登山口から見て奥に行くと2郭と本丸(主郭)、左に東郭群、手前に5郭があります。

堀尾吉晴が出雲国富田城に入城すると、家臣の松田元輝(松田左近)が城番として入城し、石垣や大手門など近世城郭に整備していきました。

本丸(主郭)部分の山には、石垣が見えています。さあ階段を登りましょう!

標高630mの瀬戸山城本丸に到着です!

一部の史料には天守閣があっただろうとされていますが、主郭はそんなに広くないので、櫓程度だっただろうと推定されています。

本丸のポストには瀬戸山城のパンフレットや旅ノートがあります。

本丸を下りて、3郭とその奥の南西郭群に向かいます。

大手門まで戻って、東郭群です。

1615年 一国一城令で廃城となりました。

尼子十旗として尼子氏に義を尽くした赤穴氏の生き様が分かった、道のり約3キロ、70分のキャスリングでした。

(おまけ)

瀬戸山城の沿道である国道54号線(石見銀山街道)を500m北に行くと、道の駅「赤来高原」があります。赤穴瀬戸山城の登山道案内図や宿場町だった赤穴宿の絵巻があります。



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