キャスリング 松前城編(日本100名城)

道南いさりび鉄道木古内駅から函館バスで松城を下車し歩いて6分の所に松前城があります。

車の場合、函館市内から約2時間で松前城です。国道228号線を折れ、松前城南側(三の丸側)の坂を上がると無料の駐車場があります。桜の季節は渋滞になるそうです。


東側の天神坂門からアプローチすると三の丸になり、五、六、七番台場があります。

木橋を渡ると搦手二の門になり天守入口になります。元は多聞櫓の場所でした。

地図を見て全体像を把握し、時間と相談して見るルートを決めます。北側は寺町になります。

松前城資料館の入館料は、大人360円です。窓口に、日本100名城スタンプが置いてありました。地階には福山城縄張り図、1階は松前藩資料、2階はアイヌ民族資料、3階は展望室になっています。

松前には、安東氏が築いた徳山館(大館)がありました。アイヌのコシャマインなどに落とされ、その後、1600年に蠣崎氏(松前慶広)が福山館を築きました。福山館は、堀や石垣、本丸など城郭の体をなしていましたが、松前氏は5階級(国主・準国主・城主・準城主・無城)のうちの無城なので正式には城とは呼ばれませんでした。

松前藩の御座船の長者丸は、鮭、鱒、昆布などを西廻り航路で大坂などに運び、財をなしていきました。

1849年 幕府は、異国船からの海防強化の為、藩主の松前崇広に松前城の築城を命じました。縄張りは、日本三大兵学者での一人である長沼流の市川一学が行い、三の丸に7基の砲台と海岸に16砲台を設けました。

1868年 戊辰戦争では、旧幕府軍の土方歳三、彰義隊、新撰組で松前城を攻撃し落城しました。異国船からの防衛の城が内戦で使われたのは残念な事です。

新政府軍は蝦夷地奪還の為、乙部から上陸し松前城を奪い返しました。

福山城(松前城)の見どころの一つである現存遺構の本丸御門です。お城の北側から採掘された緑色凝灰岩の石垣なのでうっすらと緑がかっていますね。

本丸御門の西側には、表御門玄関があります。1637年に松前城は火災で焼失し、表御門は伏見城の一部が移築されたと言われています。その後、小学校玄関として利用され残っています。

1941年 天守や本丸御門など国宝に指定されましたが、火災で天守は焼失しました。その後、北海道唯一の城として復元されました。松前藩やアイヌ、戊辰戦争の事が学べた60分のキャスリングでした。

(おまけ)

松前城に近い国道228号線の「道の駅北前船松前」に松前城のパネルが置いてあります。そこからは松前藩の波止場が見えます。明治になり大型船の停泊ができるように、松前城の石垣を転用し波止場を建設しました。



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