キャスリング 五稜郭編(日本100名城)

JR函館本線五稜郭駅から東に2.4キロ、函館市電湯の川線五稜郭公園前駅から北に700m、8分歩いた所に五稜郭があります。

車の場合、五稜郭西側に観光駐車場があります。60分200円で30分毎に100円加算でした。

まずは五稜郭タワーに上がり、五稜郭全景を見てみます。展望料金は大人900円です。チケット売り場に、日本100名城スタンプが置いてあります。

昔は高さ60mのタワーでしたが、2006年に高さ100m(展望部分約90m)タワーが建設されました。五稜郭がジオラマのように一望でき、真ん中には復元された函館奉行所が見えます。

南西を見ると函館山と函館港が見えます。遠くには津軽半島も見えます。

五稜郭タワーは眺望だけでなく、歴史も楽しく学べる所です。精巧に作られたジオラマが、分かりやすく歴史の流れを教えてくれました。

①1854年 江戸幕府はアメリカと日米和親条約を結びました。箱館港開港の為、松前藩家老とペリーとがアメリカ艦艇上で握手を交わしています。

②箱館港開港により外国人に街は賑わいました。

③1855年 江戸幕府は箱館を治める為に、松前藩の領地を没収し、箱館奉行所の築造を再計画します。軍人で洋学に精通している武田斐三郎の設計の元、西洋式星形要塞の城郭が築城されました。

④北海道初の学問所である箱館諸術調所では、教授の武田斐三郎の元、身分に関係なく蘭学、測量、航海、造船、砲術、築城、化学を教えました。

⑤1857年 いよいよ五稜郭の築城が始まり、9年後の1866年にすべて完成しました。

⑥1868年 榎本武揚率いる旧幕府脱走軍は、鷲ノ木(現在の森町)に上陸し、箱館に向かいました。

⑦大政奉還後に新政府が設置した五稜郭の箱館府を、旧幕府脱走軍が奪い入城しました。

⑧旧幕府脱走軍は、松前藩の松前城、館城を攻め落としました。刀で応戦しているのは、松前藩正義隊隊長の三上超順です。

⑨松前藩を落とした旧幕府軍は、榎本武揚を総裁とした箱館政権を樹立しました。

⑩1869年 新政府軍は乙部に上陸し、攻撃が始まりました。

⑪乙部に上陸した新政府軍を、江差山道(国道227号)で待ち構える土方歳三率いる旧幕府ですが、押されて箱館、五稜郭に迫ります。

⑫新政府軍はついに箱館を奪いました。奪回する為に新政府軍と戦う土方歳三でしたが撃たれて戦死しました。

⑬新政府軍は、旧幕府軍がいる箱館病院に突入しました。しかし病院長の高松凌雲は、病院の中では敵味方は関係ないと説き、薩摩藩士山下喜次郎の新政府軍の攻めを止めさせました。この精神は、現在の赤十字の先駆けとなりました。

⑭総裁の榎本武揚率いる旧幕府軍は陸軍参謀の黒田清隆率いる新政府軍の亀田八幡宮に出頭し、無条件降伏し、五稜郭を明け渡し箱館戦争、戊辰戦争が終結しました。

⑮戦争後、五稜郭の堀の氷を切りだして、本州へ送りました。五稜郭氷というブランドになるほど産業として成長し、箱館は静穏な時代になりました。

五稜郭タワーを下りて、五稜郭に入城します。入城料は無料です。

入り口に構えるのは、半月堡です。郭内の出入り口を防御する為の馬出塁とも言います。当初の設計では、各稜保間の5ヶ所に設置する予定でしたが、予算の関係で1ヶ所だけになりました。

半月堡の石垣は武者返しと呼ばれる、上段がせり出して敵の侵入を防ぐ造りになっています。堀の橋を渡り、城内に入ります。

城内に入ると、高さ6mの石垣、奥行きは30mの土塁が待ち構えます。武者返しと谷積みの石垣は新しい石垣である事を物語っています。

幅30mの虎口部分には、門番所跡があります。長さ10m、幅4mの建物があり、入城者をチェックしていました。

土塁を登ると箱館奉行所の建物が見えます。

2010年に復元された箱館奉行所の入館料は、大人500円です。

72畳の大広間は、手前から四之間、参之間、弐之間となり奥の壱之間は違い棚など書院造になっている格式の高い部屋でした。

歴史発見ゾーンでは、世界の稜保式要塞の場所、蝦夷地を各藩が警備担当していた地図などがあります。

箱館奉行所の向かいには、復元された板庫(いたくら)と土蔵があります。ここにも日本100名城スタンプが置いてあります。五稜郭タワーから奉行所、五稜郭公園で120分のキャスリングでした。



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