キャスリング 白井城編

JR上越線渋川駅から北に3.2キロ、45分歩いた所に白井城跡があります。

車の場合、関越自動車道渋川伊香保インターから北に4.4キロ、10分ほどで着きます。国道17号線を折れて、細い道を走ると看板が出てきます。


周りは畑になっているので、入らないように気をつけて進みましょう。北郭から南に向かうと三の丸、二の丸になります。

二の丸と本丸の間には深い堀があり、石垣造りの枡形門があります。

築城時期は、南北朝時代の15世紀前半とされ、長尾景仲が築城しました。関東管領の上杉氏と鎌倉公方方との戦いである、享徳の乱の為に築城したとされています。

S字カーブの虎口を進むと白井城の案内看板があります。築城者の長尾景仲は、関東管領の山内上杉憲実から信任が厚かったとされ、お寺や学問所も併設されました。

東側の堀は三日月堀となっています。

東に利根川、西に吾妻川が流れ、川の合流地点に突き出した台地の先端に築かれた、天然の要害です。全体的に三角形の形をなしています。

長尾景仲の孫の景春は、山内上杉氏に反乱(長尾景春の乱)を起こしましたが、山内上杉氏を継いだ上杉謙信の勢力下に入りました。

1567年 武田氏家臣の真田幸隆、信綱により白井城は落城しました。上杉氏では御館の乱がおこり、上杉景勝は武田氏と同盟を結んだので、城主の長尾憲景は武田氏に仕えました。

1582年 武田氏が滅亡すると長尾憲景は、後北条氏の属しました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅亡し、白井長尾氏の支配は終わりました。

徳川家康の関東入封に伴い、本多康重が入城し白井藩が立藩されました。その後、松平氏、井伊氏、西尾氏、本多氏と続きますが、本多氏に跡継ぎがいなかったので、廃城となりました。

本丸の西側は吾妻川に面し断崖絶壁ですが、それ以外は高さ3~4mの土塁に囲まれています。

明治時代以降に田畑になり、大幅な土地改良が行われていないので、石垣、堀、土塁などがよく残っています。田畑以外のスペースに車を停めての、ぐるぐる歩いての30分のキャスリングでした。



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