キャスリング 周山城編

京都駅から北に30キロ、京都南インターから北に32.5キロ、車で1時間走ると道の駅ウッディー京北があります。

周山城の駐車場はどうやら無いようです。道の駅に車を停め、弓削川の橋を渡り、ここからキャスリングスタートです!


道の駅ウッディー京北から周山城まで歩いていきますが、途中に篠山藩周山代官所跡がありました。歩いて10分で登山口です。登山口から主郭までは、45分~60分ほどで、標高480m、比高は230mなので、それなりの覚悟が必要です。

この地を支配していた土豪の宇津氏を明智光秀は滅ぼしました。

1580年 織田信長家臣の明智光秀は、信長から丹波平定を命じられ、周山城を築城しました。若狭から京都を結ぶ周山街道の押さえとしています。

2年前の1578年に築かれた、本拠地の亀山城までは、直線距離で南に12キロほどです。

見ての通り、最初は石の登山道ですが、土の登山道に変わります。10月の雨模様でしたので、滑ることと山ヒルに付きまとわれ、倒木が道を塞いでいました。入念な準備をして下さい!

登山道から20分ほどで歩きやすくなってきました。

周山城が完成した後、明智光秀は茶人の津田宗及を招いて、月見の茶会を催したそうです。

40分ほど歩くと石垣がチラホラ見えてきました。

1582年 明智光秀は、織田信長に謀反を起こし、本能寺の変で信長は討たれました。本能寺の変の報せを聞いた羽柴秀吉は、急いで京都に引き返し、山崎の戦いで明智光秀を滅ぼしました。

トレイルコースとしての看板だけが頼りです。

山崎の戦い後、羽柴秀吉の持ち城となりましたが、明智本隊を翻弄させた秀吉家臣の加藤光泰が周山城代となりました。

ついに本丸に通づる東尾根の登り石垣まで来ました。破城された後、苔むした石垣に哀愁が漂います。

主郭に到着しました。周りにはうず高く土塁が張り巡らされています。縄張りを見ると東西南北の尾根に放射状に郭が築かれています。見どころは西尾根の石垣です。

主郭に真ん中には、天守台と思われる16m×15m石塁が築かれており、三重天守ほどの建物が建っていたと思われます。周辺からは瓦も発掘され瓦葺だったと思われます。

周山城のハイライトとも言える、西尾根の高さ6mの高石垣です。荒々しい野面積みです。

主郭西側は、階段状の石垣になっています。まだ高石垣の技術が未完成で、階段状で造るしかなかったと言われています。隠れ名城と言われる周山城は、5.6キロ、2時間30分のキャスリングでした。2020年大河ドラマの主役である明智光秀の生き様が楽しみです。



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