キャスリング 相良城編

JR東海道本線菊川駅から南に17キロの所に相良城跡があります。

車の場合、相良バイパス(国道473号)の大沢インターから東に1キロの所に、相良図書館、牧之原市資料館があり、無料の駐車場があります。

史料館は本丸跡、北側の相良小学校は二の丸跡 西側の相良高校は三の丸跡に中学校となります。


鎌倉時代 相良庄の地頭だった相良氏の相良館がありました。相良氏は熊本の人吉城の祖とされています。

戦国時代 高天神城を攻略した武田勝頼は、相良古城を築城しました。

1586年 徳川家康の鷹狩りに用いられ、相良御殿が建てられました。

1767年 10代将軍徳川家治の老中として、築城を許可されて、相良陣屋から相良城を築城しました。三重櫓の天守閣と6つの櫓、三重の堀に東西500m、南北450mの三の丸、二の丸、本丸がありました。

朝早かったので、史料館は開いていませんでしたが、相良城を築城した田沼意次の事が特に学べます。

1786年 徳川家治が亡くなり、ともに失脚し松平定信が老中になると、蟄居、減封が言い渡され、家督を継いだ意明は、陸奥下村藩に異動となりました。相良城は廃城となり、徹底的に破壊されました。

2019年で生誕300年を迎える田沼意次は、徳川家治からの信任厚く、御側御用取次から側用人、侍従、老中と破格の出世をしました。重商主義政策をとり株仲間の結成、専売制度、鉱山、蝦夷地開発、海外貿易の拡大、印旛沼の干拓などを行いました。しかし明和の大火、浅間山の噴火から天明の飢饉が生じ、失脚につながり悪評が流布されてしまったとの事でした。

実は、先進的な経済改革を行っていた田沼意次を、もっと学ぶ必要があるかと感じた20分のキャスリングでした。



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