キャスリング 小山城編

JR東海道本線六合駅から南に8.3キロ、島田駅からバスで25分の所に小山城があります。

車の場合、東名自動車道吉田インターから南に2.5キロ、7分走ると小山城の駐車場があります。能満寺山の上に小山城が見えますが、上に駐車場は無く、下から歩いて小山城に向かいます。歩いて5分ほどです。


まずは能満寺に向かうルートでキャスリングスタートです!

築城年は不明ですが、鎌倉時代に小山朝光(結城朝光)が砦を築いたのが初めとされています。その後、今川氏によって小山砦が築かれたとされています。

日本三大ソテツ(ここ能満寺、龍華寺(静岡県)、妙国寺(大阪府))の一つと言われる、高さ6mの大きなソテツです。徳川家康がソテツを駿府城に移植したら、夜な夜な能満寺に帰りたいとソテツが泣き、家康は能満寺に戻したという伝説があります。

1568年 大井川を境界線として、東の駿河を武田信玄、西の遠江を徳川家康と領地の分割協定が結ばれていましたが、武田信玄は協定を破り侵攻しました。

1570年 徳川家康は、松平真乗に小山城周辺の領地を与え、小山砦を奪還しました。

1571年 武田信玄は松平真乗をから小山砦を奪い、小山城と名付け大熊朝秀を城主としました。馬場信春は山本勘助の築城技術を受け継ぎ、小山城を修築していきます。

階段を上がって3分ぐらいで小山城に着きます。

階段を上がると、武田流築城技術の粋が垣間見える、復元された三日月堀、馬出があります。

小山城は、大井川の西側の防衛線の拠点となり、高天神城攻略の足がかりとなります。

1574年 武田信玄が亡くなった後は、武田勝頼が小山城に入り、小山城から北西に直線で13キロ地点に諏訪原城を築城しました。その後、滝堺城、高天神城を落としました。

小山城の入館料は大人200円です。ジオラマや武田氏、徳川氏ゆかりの品が展示されています。

1575年 長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼は、諏訪原城を落とされ、武田軍は小山城に落ち延びました。

1582年 武田軍、徳川軍の一進一退の攻防が続きましたが、徳川軍は、高天神城、相良城を落とし、最後は小山城を落とし、そのまま廃城となりました。

小山城展望台からの景色です。北の眼下には、舌状台地(湯南原台地)を利用した縄張りに、三日月堀、馬出が見えます。北西方向には、諏訪原城があります。大井川が流れています。東は駿府、西は遠江と東西の戦いの境界線でした。

小山城の西側には、三重堀があります。城の東側は断崖ですが、西側は台地が続いているので、三重もの堀で防備を固めています。

徳川軍は小山城の攻略に11年の歳月を要しました。武田築城技術に守られた城だという事が分かった40分のキャスリングでした。



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