キャスリング 新庄城編

JR山形新幹線、奥羽本線新庄駅から北西に1.4キロ、18分歩くと新庄城跡があります。

車の場合、最上公園となっている新庄城跡のお堀をわたり、奥に進むと武器櫓の土塁で囲まれた砂利の無料駐車場があります。


1625年 戸沢政盛は新庄城を築城しました。戸沢政盛の父の戸沢盛安は角館城主で、戸沢政盛は、1600年の関ヶ原の戦いで東軍として上杉景勝の東禅寺城を攻略しました。

1622年 山形城の最上氏が改易になり、山形藩主の鳥居忠政とともに、新庄藩6万石を与えられました。鳥居忠政の妹を正室に、忠政の次男を戸沢定盛として養子に迎えた戸沢政盛は結びつきを強めていました。

表御門の石垣の上には櫓門がありました。

1636年 火災により三層天守が焼失し、その後再建はされませんでした。

新庄藩政庁の正面玄関だった御玄関跡は、戸沢神社の参道となっています。ここで旅の安全を祈願しました。

1868年 戊辰戦争では当初、奥羽越列藩同盟に加盟していましたが、久保田藩は新政府軍に入り新庄藩も同調しました。庄内藩から新庄藩は攻められ落城し、そのまま廃城となりました。当時藩主の戸沢正実は、久保田藩へ落ち延びました。

北側は裏御門となり、最上公園の庭園があります。戸沢政盛は元々家督を継ぐ資格はありませんでしたが、豊臣秀吉と謁見し家督相続しました。時代をすり抜ける処世術が垣間見えた、20分のキャスリングでした。



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