キャスリング 天童城編

JR山形新幹線、奥羽本線天童駅から南東に1.5キロ、高低差74m、25分ほど歩くと天童城跡があります。

車の場合、東北中央自動車道天童インターから南東に4.3キロ、11分ほどで無料の山頂駐車場に着きます。途中山道なので注意して下さい。画像だと、(北から)目の前に見える山(舞鶴山)が天童城になります。


築城時期は不明ですが、南北朝時代に北畠顕家の子孫とされる、北畠天童丸がここを本拠としました。その後、1375年に最上氏の子が天童頼直として、天童氏を名乗り天童城に入りました。

アルファベットのHの字をした尾根を利用した山城です。駐車場横には、天童藩家老の吉田守隆(大八)の銅像があります。藩士の財政救済対策として、将棋駒の製造を推奨していました。戊辰戦争では、奥羽鎮撫使先導役となりましたが、戦況の変化で切腹しました。

1577年 天童氏は大きな勢力となり、10代にわたり209年間天童城に居城していましたが、最上義光に攻められます。

駐車場から南側の中央郭は、小高くなっており、藩の財政を支えた将棋駒があります。

1584年 最上義光から再度攻められ、天童城は落城し廃城となりました。天童氏は落城とともに、伊達氏家臣の国分氏を頼り、多賀城の地に移り住みました。中央郭には大ケヤキがあります。

1830年 高畠藩から織田信美が移り、天童藩を立藩しました。財政難で悩まされ、倹約令と紅花の専売制など行いましたが、藩政改革は失敗し、戊辰戦争が起き、廃藩置県となりました。

大ケヤキから北を見ると天童市が一望できます。主郭部分には、愛宕神社があります。

中世、近世から幕末の歴史蠢く天童城は、20分のキャスリングでした。



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