キャスリング 上山城編

JR山形新幹線、奥羽本線のかみのやま温泉駅から北西750m、10分歩くと上山城があります。

車の場合、東北中央自動車道山形上山インターから南西に5キロ、10分で無料の上山城第一広場駐車場です。


南北朝時代に羽州探題で最上氏の祖である、斯波頼兼の曾孫の上山満長(里見満長)が上山で山城(高楯城)を築いた事から始まります。

1514年 伊達稙宗に落とされますが、翌年和睦して返還されました。しかし5年後に再び攻められますが、1535年に上山義房の子の武衛義忠が城を奪還しました。同年に高楯城を廃城にして、上山城(別名:月岡城)を築きました。

上山城の入館料は大人420円で、山形、上山などの羽州の歴史や蔵王の自然などが学べます。

1580年 天童城の天童氏は最上八楯を形成(天童氏、延沢氏、飯田氏、尾花沢氏、楯岡氏、長瀞氏、六田氏、成生氏など最上包囲網)し、上山氏も最上義光と対立しましたが、義光の調略により上山城は落とされ、里見民部が入城しました。

1622年 最上氏のお家騒動(最上騒動)により、最上氏は改易となり、能見松平氏の松平重忠が入城し2代続き、蒲生忠知が入りました。

1628年 下総相馬藩から土岐頼行が入城した頃、徳川家光の紫衣法度に反対した沢庵和尚が上山に流罪となりました。土岐頼行は沢庵和尚の権力に屈しない姿勢に心を打たれ、上山藩政の助言などを仰ぎ、「実の祖父の如く」と厚く信頼していました。

1692年 飛騨高山藩から金森頼時が入城しました。異動の理由は、飛騨の森林や高山を直轄地にした為です。その後郡上藩に異動となりました。

1697年 備中庭瀬藩から藤井松平氏の松平信通が入城し、その後10代続きました。

1868年 戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に加盟し、庄内藩と行動を共にして久保田城を包囲しますが、やがて降伏しました。

展示室撮影OKですが、HP上でのUPは禁止されているので画像はありません。天守から東を見ると冠雪した蔵王山(11月上旬)が見えました。

羽州(秋田、大曲、横手、湯沢、新庄、尾花沢、楯岡、天童、山形、上山)の歴史が熱い事が分かった30分のキャスリングでした。



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