キャスリング 横山城編

JR北陸本線長浜駅から東に5.3キロの所に、石田三成の屋敷跡があります。ここに横山城の案内看板があります。

車の場合、北陸自動車道長浜インターから南東に3.6キロ、8分ぐらいで着きます。ここからは、左に伊吹山、右手前に横山城のある臥龍山が見れます。この日は、朝日に照らされたダイヤモンド横山城でした。

浅井長政の横山城を、織田信長が包囲した事が発端となり姉川の合戦の発端となりました。近江国の攻略では、この横山城が非常に重要な城でした。

横山城の案内看板を見ると、登城ルートは4つあります。(①北側の龍ヶ鼻陣所ルート・②西側の日吉神社、石田山公園ルート・③南西側の石田溜ルート・④南東側の大原観音寺ルート)です。

見た目で距離が短そうな大原観音寺ルートを選びました。距離が短いという事は、傾斜がきついと同義かもしれませんが。。。大原観音寺には無料の砂利駐車場があります。豊臣秀吉が長浜城主だった頃、鷹狩りの際に観音寺に立ち寄り、寺の小僧だった石田三成が茶を献じたお寺だとされています。

三成は秀吉に、一杯目のお茶は大きい茶碗でぬるめ、二杯目は中くらいの大きさの茶碗で熱め、三杯目は小さい茶碗に熱めのお茶を出し、おもてなしの心(三椀の才)を認められ出世していきました。


綺麗な蓮池と石田三成、茶水汲みの井戸があります。

蓮池の左手に登城路があり、砂利道の左手にあづまや経由のハイキングコース(横山城登城路)があり、こちらの方が九十九折ですが、なだらかです。

しかし私たちは最短路を行きたいので、観音寺本堂の左手からの登城路からキャスリングスタートです!分かりやすい看板は無く、たまに出てくる石像が目印です。

登って20分ほどで、あづまや(展望台、休憩所)です。ここから尾根を北に向かい(鉄塔の方向)ます。西側には長浜市内と琵琶湖が見えます。

横山城の尾根から東が岐阜県、西が滋賀県の県境になります。

横山城跡の矢印に進んでいきます。

梵鐘堂が見えてきました。ここで鐘を撞いて、浅井長政や名もなき戦死者への鎮魂を行います。昭和初期に昭道和尚が荒れた城跡の整備を行い、梵鐘と登山路の観音様を寄進しました。その思いが現在も引き継がれています。

梵鐘堂からさらに北に向かうと虎口や竪堀、井戸らしき遺構が出てきました。この周辺が南城(豊臣秀吉が城番の時に増築した城)あたりです。

堀切、曲輪などの案内看板がありますが、看板が無い所でも、帯曲輪や堀切っぽい所があり、自分で推理していくのも面白いですね。「これはもしや・・・竪堀・・いや違うかも・・」

先ほど、あづまやから北に見えていた、鉄塔の真下に来ました。ここから上がると北城(浅井長政が造ったとされる城)です。

横山城(北城)のに着きました。東には伊吹山が見え、アコースティックギターで鎮魂歌を奏でました。

1561年 浅井長政は六角氏に対する防御として横山城を築城し、浅井氏家臣の浅井井演が城主でした。

1570年 義弟である浅井長政が織田信長に寝返り、信長の小谷城攻略が始まります。浅井長政の本拠地である小谷城を包囲する為、信長は虎御前山に布陣し、姉川の南にある横山城を包囲しました。姉川の戦いで小谷城の支城である横山城を攻略し、横山城番に木下秀吉(豊臣秀吉)を任命しました。

1573年 秀吉は、横山城を拠点として浅井氏を監視していました。信長は、一乗谷の朝倉氏を攻め、小谷城の浅井氏を攻め、両名は滅亡しました。

西には琵琶湖、北には浅井長政の本拠地の小谷城と対峙した織田信長の虎御前山が見えます。石田山公園ルート(日吉神社)ルートで5分ほど下山すると二重堀切などの遺構が見れます。

浅井氏滅亡後、信長は戦功として木下秀吉にこの地を与え、琵琶湖畔に長浜城を築城しました。ここから秀吉は出世の道をたどり、石田三成に出会い、天下人になっていきました。

帰りも観音寺ルートで下山しました。歴史が大きく変わる舞台であった横山城は、往復3.5キロ、約90分のキャスリングでした。



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