キャスリング 久留里城編

JR久留里線久留里駅から南東に1.5キロ、歩いて25分で久留里城跡駐車場、登山口に着きます。

車の場合、圏央道木更津東インターから南に9.5キロ、15分ほどで久留里城跡駐車場に着きます。君津市森林体験交流センターの駐車場含めて、無料で広大な駐車場があります。


駐車場から本丸まで、歩いて10分ほどです。(車は進入禁止でした)舗装道路を上がっていくので、楽だと思います。

舗装道路と平行して山道登城ルート(城山探鳥路)がありますが、台風による倒木などの影響で通行止めでした。(訪問日2019年12月)

久留里城の築城後、三日に一度の割合で雨が降ったので、別名は雨城とも言います。

1456年 上総武田氏の祖である武田信長が上総守護代に任ぜられ、久留里城(古久留里城)を築城しました。

武田信長の子孫は、真里谷氏と名乗り久留里城は、真里谷氏の居城となりました。

途中に堀切跡があり山城っぽさが出てきました。途中で舗装道路と探鳥路に分かれます。

この辺りは二の丸の手前にあたりますが、三の丸は眼下に見える城下町にあり、二の丸と三の丸の高低差がありすぎる城です。

1535年 武田氏が弱体化し、安房の里見義堯が久留里城を本拠としました。

1564年 北条氏の上総侵攻で久留里城は北条氏の奪われました。眼下の城下町に北条氏と里見氏が戦った古戦場が見えます。

久留里藩主土屋利直の時代に藩士を勤め、江戸幕府の財政改革(正徳の治)を行った新井白石の銅像があります。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で、里見義康は小田原征伐の加勢を命じられましたが、従いませんでした。秀吉からは、安房の領有は認められましたが、上総の領地は没収となりました。

徳川家康が関東に入封になると、松平忠政(大須賀忠政)が3万石で入城しました。

二の丸に着きました。眼下に三の丸が見える所で、道具を収納する長屋風の建物がありました。

松平忠政の時代に、城下町が形成されていきました。

二の丸の横には入館無料の資料館があり、ジオラマや資料があります。

1601年 関ヶ原の戦い後、松平忠政は軍功により遠江国横須賀城に異動となり、土屋忠直が2万石で入城しました。久留里藩3代藩主の土屋直樹の時代に改易となり、一時廃藩、廃城となりました。

1742年 上野国沼田城より黒田直純が3万石で入城し、再び立藩されました。その後、黒田氏が9代続き、明治維新となり廃城になりました。

井戸は現在を湧水を湛えています。

曲輪が要所に配され、資料館のある二の丸から一段上がると本丸と模擬天守があります。

天守の横には、天守台跡と土塀跡があります。

天守は入城無料で資料などはありませんが、展望台となっています。模擬天守は、浜松城模擬天守をモデルとしているそうです。

房総半島は城が多く、群雄割拠の地であった事が分かった50分のキャスリングでした。片道10分ほどの紅葉を見ながらの山歩きも気持ち良かったです。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする