キャスリング 芥川山城編(続日本100名城)

JR東海道本線高槻駅から北西に4キロの所に摂津峡公園下の口駐車場があります。高槻駅からバスで15分ほどで塚脇バス停下車して歩いて10分です。

車の場合、新名神高速道路高槻インターから西に5キロ、15分ほどで摂津峡公園下の口駐車場に着きます。冬期の12月~3月までは、下の口駐車場は閉鎖しているので、美人湯祥風苑の駐車場を利用しても良いと思います。(2019年1月キャスリング)

続日本100名城は、高槻市立しろあと歴史館・高槻市観光協会事務所・高槻市観光案内所にあります。観光協会事務所は阪急高槻市駅、観光案内所は、JR高槻駅とそれぞれ便利ですが、しろあと歴史館は資料や展示が充実しているのでおススメです。

登城口は住宅街の中で分かりにくいので、地蔵寺千年院や妙力寺を目印にして下さい。寺の前の道が登城路になり道なりに進んでいき、キャスリングスタートです!


1515年 室町幕府管領の細川高国が築城したとされています。(初代城主は、能勢頼則との説もあります)

所々、黄色のテープの案内表示があるので、見逃さないようにしましょう。ここからは私有地になるので、迷惑がかからないように気をつけましょう。

1533年 細川晴元が入城し、曲輪が増設し拡張されていきました。

途中で猪、鹿などの侵入防止策があるので、ドアを閉めて入りましょう。

1539年 三好長慶は細川政権を崩壊させ、足利氏を京都から追放しました。三好政権を樹立し、芥川山城に入城しました。

スタートから15分で大手門石垣が出現します。さらに上に上がります。

1560年 三好長慶は飯盛山城に移り、息子の三好義興が入城しました。

炭焼きの窯跡があり、もうすぐで頂上です。階段を上がると左手が頂上、右手が土橋や竪土塁があります。

1568年 織田信長の摂津侵攻が始まり、芥川山城の攻撃が始まりました。当時の城主、三好長逸は阿波へ逃れました。織田信長は芥川山城に入城し、和田惟政を城主にしました。

スタートから20分で展望台に着きました。南には飯盛山城のある山々が見えます。大阪府内が一望できるこの城の重要性が分かります。

1569年 三好三人衆(三好長逸、三好宗謂、岩成友通)が足利義昭の屋敷を襲撃(本圀寺の変)し、和田惟政が三好三人衆を撃退しました。軍功として高槻城が与えられ、家臣の高山友照が芥川山城に入りました。

展望台からさらに上がると、奥の高まりに主郭があります。下山した後、祥風苑の駐車場からの芥川山城です。

1571年 和田惟政は、白井河原の戦いで荒木村重・中川清秀に討ち取られました。高槻城は息子の和田惟長が継ぎましたが、高山友照・重友父子は惟長を追放し、高槻城主となり、同時に芥川山城は廃城となりました。

室町幕府に対しての三好新勢力とそれを上回る織田氏の勢力のせめぎ合いの城だと分かった、50分、3.3キロのキャスリングでした。

キャスリング後は、車を停めていた祥風苑で疲れを癒しました。祥風苑の利用で3時間分駐車料金が無料になります。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする