キャスリング 松山城編(現存天守12城・日本100名城)

伊予鉄道城南線大街道駅で降りて、北に200m、3分歩いた所に松山城ロープウェー乗り場があります。

車では、松山自動車道松山インターを降りて、北に8キロ20分ぐらいで、松山市喜与町駐車場に着きます。2時間で410円で、ロープウェー乗り場まで歩いて2分です。

楽に行くには、ロープウェー又はリフトで往復で大人510円です。松山城天守観覧券セットで大人1020円です。松山城は、標高131mの勝山に上に築かれた平山城です。

ロープウェー乗り場の麓には、加藤嘉明像があります。

歩きでの松山城の登山ルートは4つあります。

①ロープウェイの下を歩く東側の東雲口登城道

②南側の県庁裏登城道

③西側の黒門口登城道

④北側の古町口登城道(2018年10月18日現在 台風の倒木などで閉鎖されていました。)

2回目のキャスリングは③黒門口登城道からキャスリングスタートです!21棟の重要文化財を持つ松山城をなるべく詳細にレポートします。

黒門口跡の次は槻門跡(けやきもんあと)です。門の上部は二重の櫓で城内最大の櫓門でした。門の内側には槻門番所が置かれ、20人が配備され厳重な警備体制でした。

槻門をくぐると、目の前の大きな石垣が現れます。西大砲台と呼ばれます。更に進むと二ノ丸庭園の門が出てきます。

二ノ丸庭園の横を通ると道が折り返した所に、持弓櫓跡があります。

20分登ると太鼓櫓が見えてきました。大手門跡と中ノ門跡です。

道を切り返すと(重文)高麗門形式の戸無門があります。

戸無門をくぐり左に曲がると筒井門があります。その奥には(重文)隠門があります。筒井門は脇戸付きの櫓門です。奥の隠門は、筒井門の石垣の奥に隠された埋門形式の櫓門です。

筒井門をくぐり来た方向を見ると隠門が城内側から見えました。隠門の上には、(重文)隠門続櫓があります。

太鼓門は、本丸大手の正門として機能した脇戸付の櫓門です。

太鼓門をくぐると、長さ24mの太鼓門西塀が続き、その西側に太鼓櫓があります。本丸の南西隅を配置された二重櫓です。

本丸から西側の石垣ラインを見ると、死角を無くすために石垣が屈折しています。屏風折と呼ばれ、どこからでも弓や鉄砲で狙えるようにしています。手前には馬具櫓が見えます。

本丸中心には、加藤嘉明が由来のご当地キャラクター「よしあきくん」が出迎えてくれます。

本丸中央の東側には、弾薬庫の玉薬土蔵跡があります。土蔵の屋根瓦は朝鮮系滴水瓦と呼ばれる珍しい瓦でした。

本壇の周りを時計周りに周っていくと、小天守の下側に(重文)紫竹門があります。本丸の大手と搦手を仕切る高麗門形式の重要な門です。扉の上部は竪格子になっており、外を覗けるようになっています。紫竹が植えられ名前の由来になっています。

紫竹門をくぐると(重文)紫竹門西塀が14mに渡り設けられています。西側の乾門を下りて乾門東続櫓続東折曲塀を見上げてみます。その奥には紫竹門西塀があります。

搦手防衛の要として機能した乾門です。元は筒井門同様、正木城(伊予郡)から移築されたと伝えられており、筒井門と似ています。

本丸北西側には防衛の為の(重文)乾櫓があります。その北側には(重文)野原櫓があります。画像は野原櫓です。城の北側に対して防衛を担い、太鼓壁や天井板が無い事など簡素で機能的な武装建築です。

乾櫓から本壇を見ると、北隅櫓ー十間廊下ー南隅櫓が見えます。美しいシンメトリーです。

(重文)の仕切門内塀の石落としからは、石ではなく配管が出ています。

本丸北側には小筒櫓跡があり、東に周ると艮門(うしとらもん)と東続櫓があります。艮は北東方向の事で、城内に入った敵の背後を襲う役割があったようです。

本丸東側から本壇を見上げると、直線の天神櫓南塀があります。

切符売り場で天守観覧券を買い、本壇に入ります。大人510円です。天守が正面に見える枡形に入ります。

枡形の右手には、脇戸付高麗門形式の(重文)一ノ門があります。本壇入り口の重要な門です。

一ノ門をくぐり枡形の左手には、薬医門形式の(重文)二ノ門があります。天守、三ノ門東塀から狙われる構えとなっています。

櫓や門が多く、どれがどれだか分からなくなるので、配置図を確認しながら進みました。特に重要文化財は見落とさないようにしました。

二ノ門をくぐり折り返すと、高麗門形式の(重文)三ノ門があります。三ノ門南櫓、天守から狙われる構えとなっています。

三ノ門をくぐると、一重櫓の(重文)三ノ門南櫓があります。

三ノ門南隅の延長上に、(重文)筋鉄門東塀があります。一ノ門、一ノ門南隅櫓、小天守を防衛する役割があります。

筋鉄門東塀の延長上に、脇戸付櫓門の筋鉄門があります。門の柱には鉄板が張ってあり、櫓は天守と小天守の通路となっています。

筋鉄門をくぐると左手に、二重二階櫓の小天守があります。大手と搦手を防衛する位置にあります。黒塗りの天守と白塗りの小天守の対比が美しいです。

左の小天守と右の南隅櫓をつなげる多聞櫓です。南隅櫓と紫竹門を防衛する役割があります。

左手の南隅櫓と右手の北隅櫓をつなげる十間廊下です。下から見た時、綺麗な対称形に見えた建物ですね。

玄関と北隅櫓をつなげる玄関多聞櫓です。天守に通じる内門、北隅櫓を防衛します。

天守の地下一階に食料庫として機能していた(重文)穴蔵です。ここから天守内部に入っていきます。

穴蔵に入り靴を脱ぎ入城します。ここに100名城スタンプが置いてあります。現存天守らしい狭い急階段を上ります。

先ほどの玄関を内側から見ました。そろそろ歴史の流れをお伝えします。

1602年 伊予正木城主(松前城)だった加藤嘉明は、関ヶ原の戦いで加増され松山城を築城しました。普請奉行は足立重信が担当しました。

1627年 加藤嘉明は松山城完成の前に会津藩に異動となります。その後、蒲生氏郷の孫の蒲生忠知が入城します。十間廊下など城内には、様々な展示物があります。

十間廊下から西側を見ると、乾櫓、野原櫓が見えます。小天守から下を見ると一ノ門、一ノ門南隅櫓、二ノ門南隅櫓、三ノ門南隅櫓、筋鉄門東塀など重要文化財が一挙に見れます。枡形虎口だとよく分かり、どこからでも攻撃しやすい防御力の高い造りです。

1635年 蒲生氏が断絶し、久松松平氏の松平定行が伊勢桑名城より入城します。創建当初五重だった天守を三重に改築するなどしました。その後、明治時代まで松平氏が治めます。

小天守から本丸を見てみます。南北に細長い本丸曲輪である事が分かります。

天守からは東には湯築城、西には伊予灘と眺めが良いです。

お城の出口になっている内門です。天守の西側に位置し、次の門(仕切門)との間は枡形となっています。上の櫓は天守と玄関多聞櫓の通路となっています。

内門をくぐると脇戸付高麗門形式の(重文)仕切門です。さらに進んで二ノ門から出ると、本壇を一周した事になります。

本丸に戻り、本丸南側のトイレ近くには、深さ44m、水深9mの井戸があります。トイレの南側には巽櫓があります。

帰りは、②県庁裏登城道から下城します。戸無門の下には待合番所跡があります。東雲口登城道と黒門口登城道の合流地点になり、警備の為に設けられており、常時3人が詰めていたと言われています。

南側には隠門続櫓が突き出しています。下から見ると高さ10mを越える高石垣だと分かります。一部改修されているので、場所によっては打ち込みハギ、切り込みハギなどが混在しています。

ロープウェイの帰り道の東雲口登城道と県庁裏登城道に分かれます。

県庁裏登城道は、登り石垣が見ものです。山頂の本丸と山麓の二ノ丸の間からの敵の侵入を防ぐ為に北と南に一本ずつあり、特に南登り石垣はほぼ完全に残り延長230m以上あります。登り石垣は、洲本城、彦根城にもありますが、松山城の南登り石垣は全国最大の規模を誇ります。

1910年 松山公園として開園されるにあたり、県庁裏登城道は古町口登城道とともに造られました。登城道周辺は、古墳群があり数々の装飾品が出土しています。

南登り石垣の山麓に着きました。見どころ満載の約50分のキャスリングでした。また来たいお城ですね。

(おまけ)

大手町は伊予鉄高浜線と伊予鉄大手町線が交差する、松山名物ダイヤモンドクロスがあります。市電から見る松山城も風情があって良いですね。

(さらにおまけ)

松山城から2キロ南に、居酒屋網元があります。ここでは美味しい魚と(特に鯖)お酒が置いてあります。地元では有名だと思います。



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