キャスリング 小里城編

JR中央本線瑞浪駅から南東に5.1キロの所に小里城跡があります。

車の場合、中央自動車道瑞浪インターから南東に6.9キロ、12分ほどで着きます。小里城登城口の向かいに砂利の無料駐車場があります。


1532年頃 土岐氏支流の小里光忠が築城し、以後小里氏の居城となりました。

登城口から手前の御殿場跡まで100m、本丸跡まで600m、30分の道のりでキャスリングスタートです!

スタートから1分!目の前に現れる石垣にテンションだだ上がりです!

3分で大手門の石垣と一段上にある御殿場跡に着きました。御殿場跡は三段の曲輪から構成され、小里光親が関ヶ原の戦い後に領地を返された1600年~1623年までに使われたとされています。

御殿場跡には、小里城のパンフレットが置いてありました。かなりしっかり作られています。

御殿場跡から本丸跡まで500mで大手道を登っていきます。山頂部の標高は405mで、城下からの比高は180mほどです。

大手曲輪跡が出てくると本丸跡まであと100mほどですが、傾斜がきつくなります。

傾斜がきつい所がロープをもって体を支えていきましょう。こういう山城は軍手が必要ですね。足元に気をつけながら上を見上げると、石垣があります。

1570年 小里光忠は織田信長に従いますが、武田氏家臣の秋山虎繁が攻めてきて、上村合戦に敗れて光忠は死去しました。

二の曲輪跡を過ぎると天守台でゴールとなります。

1574年 小里光忠の子、光明は岩村城攻めの拠点として、池田恒興を御番手として入れて改修しました。しかし翌年に岩村城が落城すると改修は中止されました。

1583年 小里光明は織田信孝に仕えましたが、賤ケ岳の戦いで信孝が自害すると、森長可に攻められ小里城を離れ、和田氏を名乗り徳川家康に仕えました。

天守台は若干曲がっており、不等辺多角形になっています。大きい岩も利用されています。

1600年 小里光明の子、光親は関ヶ原の戦いの功で土岐、恵那郡の領地を再び与られ、小里陣屋を構えましたが、1623年に嫡子がいないので断絶しました。その後は天領になり小里城は廃城となりました。

人為的に破壊された後や石垣を造る為の矢穴がはっきり残る石が点在しており、当時の状況は生々しく残っています。時が止まったような小里城は90分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする