キャスリング 銀山城編

JR可部線下祗園駅から北西に3キロ、50分歩くと武田山登山口(銀山城登城口)です。銀山(かなやま)と言います。

車の場合、武田山登山口の手前に、第二駐車場がありました。(※第一駐車場は見当たりませんでした)そこから山頂の本丸まで25分ほど登ります。


環境保全みどり会のゲートをくぐるとすぐに武田山、火山の登山口です。向かうのは武田山の山頂で、キャスリングスタートです!

瀬戸内海に面した山陽道が通るこの地は、安芸国の経済の中心地でした。

築城年は不明ですが、1221年の承久の乱の後、この地を得た武田信光は、標高410mの武田山の麓に守護所を建てました。

登山口から500m、10分ぐらい登ると、本丸まであと650mが出てきました。そこから5分ほどの所に弓場跡があります。

1299年 桜尾城の平員家(たいらのかずいえ)の攻撃で銀山城は落城しました。当主の武田信宗は、防衛の為に武田山の山頂に城を築きました。室町時代には、周防国の大内氏との攻防が繰り広げられましたが、300年は武田氏の拠点として機能しました。

山頂まで残り270m、残り80mと着実に近づいています。

1517年 当主の武田元繁は尼子氏と手を組み、吉川氏を攻めました。しかし有田中井手の戦いで元繁は討ち死にしたので、安芸武田氏の勢力は弱まっていきました。

スタートから25分で山頂に到着しました。広島市内が一望です!

1541年 毛利元就は吉田郡山城の戦いで尼子軍を撃退した後、佐東銀山城の戦いで銀山城は落城し毛利氏の支配下に置かれました。

南には瀬戸内海が見えます。ここに城を構えた気持ちが分かる気がします。

山の斜面を削って平にした50近くの曲輪と堀が張り巡らされています。

山頂には巨石が残り御守岩と呼ばれています。他にも鶯の手水鉢など天然の岩を利用したものや防御がなされています。

関ヶ原の戦いまで毛利氏の支配下にあった銀山城は、毛利元就の隠居城となる予定があったそうですが、使われることはありませんでした。関ヶ原の戦い後、毛利氏が周防国、長門国に移封になると、銀山城は廃城となりました。

広島城の前身となった銀山城の歴史を知る事ができた往復2.7キロ、約1時間のキャスリングでした。



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