キャスリング 棚倉城編

JR水郡線磐城棚倉駅から南に800m、10分歩くと棚倉城跡があります。

車の場合、東北自動車道白河インターから、東に26キロ、40分走ると棚倉町城跡北駐車場に着きます。今回はそこから北に周って北側からキャスリングスタートです!

1590年 棚倉の地を支配していたのは常陸佐竹氏の支配下にあった石川昭光で、標高345mのの山城の赤館を拠点としていました。

1600年 関ヶ原の戦いで、西軍についた佐竹氏は出羽国秋田に異動となり、棚倉一帯は天領となりました。

1603年 立花宗茂が1万石で入城し、棚倉藩が立藩しました。

北側から土橋を渡り搦手口から本丸に入城します。

1620年 立花宗茂は関ヶ原の戦いで西軍だったものの、徳川家康から一目おかれ、大坂の陣でも活躍したので旧領の筑後国柳川城に異動となりました。

1622年 丹羽長重は常陸国古渡藩から棚倉城に5万石で入城しました。

1625年 徳川秀忠は丹羽長重に平城の築城を命じました。近津神社の地が最適と判断し、現在の場所に棚倉城と城下町を建設し、輸送業など藩の財政を基盤を整えました。

1627年 丹羽長重は陸奥国白河藩に異動となり、内藤信照が入城しました。

本丸の中にも砂利の無料駐車場がありました。南北に長い本丸は土塁で囲われ、四隅に櫓があり、多聞櫓でつながっていたそうです。本丸の中には御殿がありました。

1705年 内藤氏は駿河国田中藩に異動となり、太田資晴が5万石で入城しました。

1728年 太田資晴は上野国館林藩に異動となり、松平武元が5万石で入城しました。

1746年 小笠原長恭が遠江国掛川藩から6万石で入城しました。

1817年 小笠原長昌が肥前国唐津藩に異動となり、井上氏、松平氏が入城しました。

1866年 阿部正静が陸奥国白河藩から10万石で入城しました。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加し、白河口において新政府軍と戦いました。1868年に棚倉城は落城しました。

1871年 廃藩置県により棚倉藩は廃藩となりました。

土塁や水堀は立派なもので、南側の大手口から下城しました。丹羽長重が棚倉藩のベースを造り、戊辰戦争を経て、現在はゆっくりとした時間が流れていました。30分のキャスリングでした。



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