キャスリング 長谷堂城編

JR奥羽本線蔵王駅から西に3.6キロ、50分歩くと長谷堂城跡公園(駐車場)があります。

車の場合、東北中央自動車道山形上山インターから北西に6.2キロ、10分ほどで着きます。

長谷堂城跡公園に広大な無料駐車場があります。

長谷堂城跡公園には、長谷堂城の周りに巡らされていた水堀跡が発掘されています。幅7m、深さ2.7mの大きさでした。

築城時期は不明ですが、16世紀初期に最上氏が築城したとされています。

1514年 最上氏と伊達氏との抗争で、伊達稙宗が長谷堂城を攻め落とし、最上氏が不利な条件で和議を結んだとされています。

標高230m、比高85m、南北670m、東西400mの独立丘陵地帯に構えられた城です。パンフレットが置いてありました。

麓の八幡神社からキャスリングスタートです!

1600年 北の関ヶ原と呼ばれる慶長出羽合戦では、東軍の最上義光と西軍の上杉景勝家臣の直江兼続が戦いました。

スタートして5分ほどで帯曲輪群に着きます。段々畑状の帯曲輪が12段ほど確認できます。

帯曲輪群から北に見える菅沢山の麓に、直江兼続軍の本陣が構えられ、上杉軍対策として帯曲輪群を造成したと考えられています。

さらに3分歩くと土塁があります。

長谷堂城は、最上義光本拠地の山形城の支城として機能していました。慶長出羽合戦で直江兼続は、北西に直線で10キロの所にあった最上氏の畑谷城を攻め落とし、長谷堂城を包囲しました。

さらに3分歩くと曲輪があり、東から南にかけて曲輪が多くなっています。

最上義光家臣の志水光安は直江兼続の猛攻に耐えて、上杉軍を食い止めました。側面から攻撃できる横矢掛りなどで防御態勢を強化しています。

関ヶ原の戦いで西軍の負けを知った上杉軍は米沢に撤退します。そこに最上軍が猛追しますが、上杉軍は撤退に成功しました。鮮やかな直江兼続の撤退は、最上義光、徳川家康も称賛したと記録が残っています。

スタートから20分で本丸の虎口の到着です。鳥居辺りが枡形虎口になっています。

山形城から南西に7キロ地点にある長谷堂城は山形盆地を見渡せる好立地にあります。高いビル(霞城セントラル)の辺りが山形城です。

関ヶ原の戦い後、長谷堂城は、最上義光家臣の坂光秀(あきひで)に与えられましたが、1622年の最上騒動により最上義俊が改易になると廃城となりました。

本丸の南の曲輪群から、北東側にある城内最大級の帯曲輪を見て戻ります。

最上騒動で長谷堂城を幕府が没収しますが、その没収の役目は皮肉にも上杉景勝でした。慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)の攻防が分かった1.5キロ、40分のキャスリングでした。



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