キャスリング 胆沢城編

JR東北本線金ケ崎駅から南に3.6キロの所に胆沢城跡があります。

車の場合、東北自動車道水沢インターから東に2.5キロ、5分ほどで着きます。奥州市埋蔵文化財調査センターに無料駐車場があります。画像は文化財調査センター側の南大路から北を見ています。2019年6月に胆沢城跡公園として整備されました。(2020年2月キャスリング)


802年 蝦夷の指導者である阿弖流為(あてるい)の本拠地である胆沢に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が築城した面積46万㎡の古代城柵でした。

808年までに陸奥国府多賀城から鎮守府が遷され、10世紀中ごろの150年間鎮守府胆沢城として機能しました。

外郭南門前の外溝に架けられた橋は、東西3.5m、南北2mで6本の橋脚で橋げたを支えています。

815年 兵士など700人が駐屯していました。

胆沢城正門の外郭南門は、東西15m、南北7.2mの十二脚門で規模が大きく、朝廷の権威を象徴するもので、803年に造営された志波城にも十二脚門が踏襲されました。

外周は一辺670mの築地土塀で区画されています。土塀の基底幅は3mで高さ4.2mでした。

外郭築地を10分割した場所に櫓が配されました。非常時には外敵に矢を放ちます。

土塀の中に入っても内溝が掘られています。溝の幅は3.5m、深さ0.5mでs、十和田火山噴火で火山灰が積もり、915年頃には深さ0.2mとなりました。

外郭南門から政庁前門まで140m、幅15mの南大路が続いています。

県道270号線を越えると政庁前門跡があります。

1083年 後三年の役の頃まで、築城から150年間鎮守府として機能していました。

政庁前門の北には政庁正殿跡があります。

坂上田村麻呂に降伏し、平安京付近に着いた阿弖流為でしたが、坂上田村麻呂の故郷に返して治めてもらう案を出しましたが、公卿たちの反対により河内国で斬られました。

坂上田村麻呂は、阿弖流為に対して統治能力を認めていた部分があったのかもしれません。残念な結末でしたが、嵯峨天皇の時代になり征夷の時代が終焉を迎えました。

古代東北に思いをはせながら40分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする