キャスリング 小幡城編(上野国)

上信電鉄上州福島駅から南に3.3キロ、45分歩くと小幡城跡です。

車の場合、上信越自動車道富岡インターから南東に3.2キロ、8分走ると無料の中小路駐車場に着きます。(2020年2月キャスリング)

平安時代末期 武蔵七党の児玉党一族の秩父行頼が、郡司として上野国甘楽郡小幡を領し小幡氏を名乗った事から始まります。

中小路駐車場から歩いて3分の楽山園を目指してキャスリングスタートです。雰囲気の良い街並みが続きます。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐後に、奥平信昌が3万石で入りました。翌年には1万石で水野忠清が入りました。

楽山園近くには、歴代小幡藩主の幟旗が掲げられています。

1615年 大坂の陣の後、織田信長次男の織田信雄が大和国宇陀郡3万石と上野国甘楽郡2万石が与えられました。織田氏により築庭された楽山園の入園料は大人300円です。

1616年 永井信勝が藩主を務めた後、織田信雄四男の織田信良が小幡藩を立藩しました。

池泉回遊式の借景庭園は、京都の桂離宮と同じ特色があります。

織田信長の孫にあたる信良は、特別に国主格の待遇を与えられました。

土塁と空堀、御殿跡と庭園が融合しています。

小幡氏家臣の熊井戸氏の屋敷跡があります。この屋敷跡を利用して小幡藩の御殿が造られたとされています。

北には榛名山が見え、庭園も大変美しいです。

1767年 七代藩主織田信邦の時に、明和事件に伴い蟄居処分となり、信邦の跡継ぎの信浮は出羽国高畠藩に異動となりました。この時に国主格も廃止となりました。

御殿は幕末期の史料をもとに部屋割りの表示をしています。

1767年 織田信邦に代わり、松平忠恒が2万石で入りました。

長屋は資料館となっており小幡城(小幡陣屋)の歴史が学べます。

1868年 戊辰戦争で小幡藩は新政府側につきましたが、藩財政は厳しいものでした。その後の廃藩置県で群馬県に編入されました。

小幡藩初代藩主の織田信雄は、数奇な運命を辿りました。

楽山園を出て、小幡陣屋周辺を散策します。

1767年以前頃の矢羽積みの石垣の御殿前通りです。

石垣は高くないですが、喰い違い虎口になっている山田家です。

幕末期にペリーが来航した際、江戸城大奥の女官達が親藩である小幡藩に疎開した時の屋敷です。美しい街並みを堪能した50分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする