キャスリング 猪苗代城編

JR磐越西線猪苗代駅から北に1.6キロ、20分歩くと猪苗代城跡に着きます。

車の場合、磐越自動車道猪苗代磐梯高原インターから北に3.3キロ、7分ほどで着きます。猪苗代町図書歴史情報館に無料の駐車場があります。(※お城東側の大手道の所にも砂利の駐車場があります)(2020年2月キャスリング)図書歴史情報館の和みいなに猪苗代城のパンフレットが置いてありました。


鎌倉時代 奥州合戦の軍功により会津を領した佐原経連が築いたとされています。

この時は東側の大手道を知らず、南側からキャスリングスタートしました。土塁を登っていくと、南帯郭、二ノ郭があります。

佐原経連の孫は、猪苗代氏を名乗り地頭として治めていました。会津盆地を治めていた蘆名氏佐原氏の系列です。

スタートして3分で本丸隅櫓台に着きました。

1586年 猪苗代盛胤が猪苗代城主となりました。

本丸から北を見ると磐梯山が見えます。

1589年 伊達政宗と蘆名義広の摺上原の戦いで、猪苗代盛胤の父の猪苗代盛国は、蘆名氏を裏切り蘆名氏は敗北し、会津は伊達氏の領土となりました。

四脚門の跡があり、石垣が結構残っています。

1590年 豊臣秀吉の奥州征伐により、伊達政宗は会津から岩出山城に異動となり、蒲生氏郷が会津若松城に入りました。猪苗代城代には蒲生郷安が入りました。

こちらは東の大手道側になります。多門櫓台石垣が見事で豊臣政権時代の文禄~慶長の石垣とされています。

1598年 上杉景勝が会津に入り、猪苗代城代に今井源左衛門が入りました。その後、蒲生秀行が入り、1615年には一国一城令が出されますが、猪苗代城は存続が許されました。

(おまけ)

1868年 戊辰戦争で幕府軍は、猪苗代城を焼き払って若松城に撤退しました。ここに猪苗代城の歴史は幕を閉じました。

猪苗代城の北西には鶴峰城跡があり、猪苗代氏代々の隠居城と言われています。時間の関係で今日はここまでで、40分のキャスリングでした。



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