キャスリング 犬山城編(国宝5城・現存天守12城・日本100名城)

名鉄犬山線犬山遊園駅から西に1.5キロ20分歩くと犬山城があります。

車の場合、犬山城第1、第2、第3と3つの駐車場があります。第1駐車場が一番近く歩いて5分で犬山城です。駐車代は500円です。

犬山遊園駅西改札口を出て、木曽川沿いを歩くと犬山城が見えてきます。

木曽川の支流でありお堀の役割でも新郷瀬川沿いを歩いていくと、お城一帯の地域に入ります。三光稲荷神社には近道という看板があったので入ってみました。

稲荷神社の鳥居をくぐっていくと、高麗門形式だった矢来門跡があります。大手道の門のうち、中門の次の門として機能していたようです。丹羽郡扶桑町の専修院に移築されています。

針綱神社、三光稲荷神社辺りは松の丸のいう曲輪があり、松の丸御殿と呼ばれる御殿があり、松の丸門がありました。一宮市の浄蓮寺に移築されています。

更に進むと、大手道の第三の門である黒門があった所で丹羽郡大口町の徳林寺に移築されています。

1469年 岩高さ88mの丘に、岩倉織田氏が砦を築いたのが始まりとされています。

岩坂門の所には、切符売り場があり入城券を買います。大人550円です。岩坂門と鉄門の間は、本来屈曲しており攻めづらくしていました。

鉄門は、門の上に櫓がある櫓門形式でした。鉄門の2階に、日本100名城スタンプが置いてあります。

1537年 織田信長の叔父、織田信康が本格的に築城し、現存する天守の二階までは、この頃建てられたと言われています。

その後、池田恒興、織田勝長、石川貞清が入城しました。三重四階の望楼型天守で国宝です。

別名白帝城と呼ばれ、長江流域の劉備が没した白帝城を詠んだ李白の詩にちなんで、儒学者の荻生徂徠が命名したと伝えられています。

石垣内部は地下2階となり、1階に上がります。1階は納戸の間と呼ばれ、4室に区分けされています。長久手の戦いの屏風があります。

1階の納戸の間には、天守に付いた櫓の付櫓があります。(城郭検定二級で出題)更に殿様が使用した上段の間があります。

大名と石高リストです。こういうのを見るのは楽しいですね。

1584年 小牧・長久手の戦いでは、織田信雄方の大垣城の池田常興が犬山城を奪取し、豊臣秀吉の拠点となります。徳川家康は小牧城を拠点として対峙する戦いとなりました。

2階は武具の間と呼ばれ、東西北に武具棚と武者走りが巡っています。

3階は破風の間と呼ばれ、南北は唐破風、東西は入母屋破風となっています。築城当時は2階の屋根裏でしたが、成瀬氏の頃に増築して3階となりました。

4階は高欄の間と呼ばれ、南北の出入り口横には花頭窓があります。

1617年尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、成瀬家9代まで居城となりました。

木曽川沿いの標高88mの丘に築かれた犬山城天守閣は結構な高さです。西は岐阜城、東は御嶽山、南は小牧城と本宮山と橋頭堡としての機能がありました。

犬山城築城の時代からある杉の木です。城の御神木として崇められてきましたが、1965年頃から枯れてしまいました。

裏門にあたる搦手には、急峻な崖を登る為の七曲道と呼ばれる道の最後の門として七曲門がありました。犬山藩第9代成瀬正肥(まさみつ)の功績を讃えた石碑があります。

天守の創建年代は幾つかの説がありますが、現存天守では最も古いと言われています。(城郭検定2級出題)築400年の木造建築としても見がいがあり、60分のキャスリングでした。



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